希望がある所には発展がある

食口の皆様お元気様です。
地元のサンクチュアリ家庭と近所のジョナサンで、ミーティングをしてきました。
心通じるサンクチュアリメンバーとの会話は楽しく、話も弾みます♪

愛のある所には人が集まり・・・甘い蜜のある花には蝶が舞います。
困っている人がいれば助けあい。喜びは分かち合い。笑いにあふれた教会。
そんな教会を作りたいね!!と、話がはずみました。

私達サンクチュアリ教会は、自由と責任の教会です。

家に戻り、霊の親から入教した時にいただいた「御旨の道・第二集」を開きました。
そのみ言葉

希望がある所には発展があり、希望がなくなる時は停止でなければ後退の一路にある。
それ故不幸と幸福は希望に左右される。
明日の希望に向かって進む信仰者に希望がないとすれば、彼は極めて不幸である。
それは皮だけの信仰である。 P191 信仰生活より

今、希望を持って歩んでいますか?

「真のお父様の権威に戻る祝福」の期限は天基7年天暦1月6日(陽2016年2月13日)です。希望の未来が皆様を待っています。

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2015年を振り返って

食口の皆様お元気様です。
今年も残すところ2日となりました。
皆様方にとって、今年はどんな年でしたでしょうか?

私にとってはまさに激動の一年。新しい出発の年となりました。
19歳の大学生の時にみ言葉と出会い入教。32年お世話になった家庭連合からの脱会。サンクチュアリ人となりました。今は自分の使命と責任の重大性に遅まきながら気付き、2016年のビジョンを考えながらこの年末を過ごしています。

私は親から愛され、主体性を重んじる教育を受けてきました。「主体性を重んじる」などという言葉を使うとちょっと難しいですが、わかりやすく言えば「やりたいことをやりたいように・・・」子供を信頼して遠くから見守ってくれている。そんな親でした。
実際に親になってみるとそのことの難しさを感じます。

そんなわけで人に「こうすべき」「ああすべき」と・・・アドバイスすることが苦手です。ついつい、その人それぞれの「生き方」があるじゃない・・・と思ってしまうのです。サンクチュアリ人になったのも、誰から誘われたわけでなく、ネットで亨進様のメッセージと出会い、残念ながらお母様の現状を知り、自分で判断し、サンクチュアリに来ました。

さらに悪いことは、楽天的な物事の捉え方をしますので、なんとかならなくても、「なんとかなるんじゃないか・・・」と考えてしまう癖があります。それで「救い」についても、どうせ最終的には全人類、全霊界人が救われるんだからと・・・真剣さが全く足りませんでした。

しかし、ご存知のように、摂理には絶対的に外せない「時」というものがあります。お父様はまさに、その限られた地上における「時」と「果たすべき責任」と闘ってこられました。地上における時間には、限りがありますし、その時における恩寵(神の許し)は限られています。

さて、今日言いたいことの結論は、「真のお父様の権威に戻る祝福」の恩恵の期限が迫っているということです。先ほど私は、
 ☆人に「こうすべき」「ああすべき」と・・・アドバイスすることが苦手です。☆
と申し上げましたが、「真のお父様の権威に戻る祝福」については、「絶対にそうすべき」だと私は言いたいのです。
特に、長年共に苦労をしてきた皆様方には、声を大にして言いたいし、耳を傾けていただきたい・・・
期限は天基7年天暦1月6日(陽2016年2月13日)です
詳しくは 戻る祝福のページ
家庭連合に脱会届を出さなくても、お父様の権威に戻る祝福を受けることは可能だと私は信じます。愛と許しの神様とお父さまはそれを許可してくださっていると私は思うのです。

心に少しでも感じることがありましたら、お問い合わせ下さい。全国対応させていただきます。
サイバーサンクチュアリ教会所属 さいたま市教会長・小林
E-メール: godblessyou6500@gmail.com
電話:050-3552-6681 (留守電の場合はメッセージ入れて下さい。折り返しさせていただきます)

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聖夜の満月 38年ぶりの「ラッキームーン」

MOON2

今日はクリスマスイブ。そして夜空に輝くお月様は「満月」
聖夜の満月のことを「ラッキームーン」というそうだ。
1977年以来、38年ぶりのラッキームーンとのこと。次に見られるのは19年後の2034年だそうです。

食口の皆様の未来が、夜空を照らすお月様のように
「明るく」「希望にあふれた」未来であることを・・・

そして天上にいらっしゃる お父様に、
喜びをお返しできる私たちになれるよう励みます。

エペソ人への手紙 第6章
:10)最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。 :11)悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。 :12)わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。 :13)それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。 :14)すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、 :15)平和の福音の備えを足にはき、 :16)その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。 :17)また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。 :18)絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。

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「烏合の集」?「神様の民」です。とエルダーさんが

食口の皆様おはようございます。お元気でいらっしゃいますか?
日本は今日、「天皇誕生日」の祝日です。

今日の朝は 「み旨と世界」のみ言葉、「生涯において何をなすべきか」を読んでいました。その中に、

生涯を通して何を残すか
 一方、我々としては、個人として成功するということよりも、世界的な、歴史的な、天宙的な、広大なる目的に対して貢献することがどれだけ重要であるかということを、はっきり知っていなくてはなりません。
 ただ、食べながら生活していくことは誰もがみな同じです。しかし、問題となるのは、我々がいかなる生涯を送っているかということにあります。生涯を通して何を残すかということが重要なことです。また、何かを残すという点においても、これがただ一つの国のためであってはいけません。統一教会的な、統一教会式の何ものかを残さなくてはならないのです。統一教会的なものであっても、これは世界的なものでなければなりません。三十数億の全人類が両手を挙げて歓迎する、そのような世界的なものでなくてはならないのです。

とありました。最近よく考えることは、
これからの人生・・・「どのように生きるか」ということであり、「自分にしか出来ない使命とはなんだろう」ということです。30年をこえる信仰生活で、個人においても、組織においても紆余曲折ありましたが、サンクチュアリ人となった「今」、これからが本当の意味での「人生の出発」だと感じさせられています。

で、今日のBlogのタイトルにしました どなたかの質問にお答えになった、
「烏合の集」?「神様の民」です。とエルダーさんが言われていることが心に響きます。
http://worldmissionhq.muragon.com/entry/17.html

私たちは、長い教会生活の中で 「自虐的」に物事を考えるようになってしまっているのだと感じます。それは個人においても歴史の捉え方においてもです。
傲慢な堕落性を脱ぐためにも、「自分は足らない」と・・・

しかしエルダーさん曰く、
私達こそがこの世を救うために選ばれた「神様の民」であることを自覚して、悔い改めの祈りを捧げましょう。
と・・・なんとありがたく、示唆に富んだ内容です。
(エルダーさん、本当に日本のメンバーのために、貴重な情報と思いを伝えてくださってありがとうございます!!)

食口のみなさん!これからが私達の価値が世に問われる時代です。
お父様ご存命中には果たせなかった責任を「今こそ!」はたす時がきました。
私も「足らない・・・」と考えるのではなく、「神様の民」である自覚をもって努力前進していきたいと思います。アージュ。

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開拓者の道

お父様のみ言葉より

従っていく人は開拓者ではありません。開拓者というものは、先頭に立つ人をいうのです。歴史を引き継いであがめながら行く人は開拓者ではありません。そうでしょう? 歴史がない場で、歴史を創建していく人が開拓者です。ですから、学ぼうという動機をもっていく人は、開拓者だと言うことができません。そのような人は、ついていく人であり、まねていく人です。

開拓者には、歴史がないのです。決まった方向がないのです。自分自身が歴史であり、方向です。自分が誤った歴史の因縁に結び付けられるようになれば自分自身は自然に破綻し、方向が間違っても自分自身は木っ端微塵となり、その生命の本質も救い難いほど破綻してしまうのです。

ですから、開拓者に信仰の道があったなら、その信仰の道は絶対的な信仰の道なのです。水に溺れた人は助かる道を求めて、藁をも救いの綱としてつかもうとするのです。開拓者には、ついていく歴史もなく、見倣う見本もありません。自分自身が歴史であり、実体であり、自分自身が勝敗の決定を備えなければならない立場であるので、どれほど深刻かということです。開拓者とは、そのような道を行くのです。(四五・三一六)

カナン福地に向かって歩んでいく四十年荒野路程において、日々過ぎていく歳月と共に、一緒に流されていってはいけません。新しい日を準備して前進する群れとならなければ、荒野で鷹の餌になってしまうのです。私たちは、歴史的開拓者だという事実を知らなければなりません。開拓者は困難な環境を切り抜けていき、あすに向かう希望の前に準備の態勢を備えなければなりません。(一九八六・五・六)

————
今の時代が、
1620年、信仰の自由を求めた清教徒を含む102人がメイフラワー号に乗って、
神の国建設のためアメリカに渡ったピューリタンと同じような気がしてなりません。
上記み言葉にある「歴史的開拓者」である自覚を持って準備していきたいと思います。

kansyasai
1621年、最初の感謝祭を描いたもの。
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組織を変えるにはリーダーを変える

きたるべき時に備えるため、積読していたビジネス書を読み返している。
ここ数日読んでいるのが、ジョン・C・マクスウェル著の「統率者の哲学」と「マクスウェルのリーダーシップ集中講座」という2冊の本。
ほんとうにざっくり書けば、「リーダーシップは、先天的な才能や素質を授かっている一握りの人間の能力ではなくて、万人が学び、向上できる能力である」との事。
もちろんそこには日々の絶え間ない努力は必要だ。

また、このジョンさんの語る言葉が受け入れやすいのは、彼が米国でも大手のプロテスタント系のキリスト教会の主任牧師を歴任し、赴任先の教会を素晴らしい教会に発展させてきたその実績に裏付けされた理論だからだ。

今日はその書籍の中から、「組織を変えるにはリーダーを変える」という一項目を抜粋したいと思う。

 リーダーシップの能力は、つねに、個人と組織のパフォーマンスの「蓋(ふた)」となる。つまり、上限を決める。リーダーシップが強力なら上限は上がるし、リーダーシップが乏しければ組織のパフォーマンスにも自ずと限界が生じる。

 だから、問題をかかえた組織は新しいリーダーを探すし、苦境に陥った国民は新しい大統領を選出する。立ちゆかなくなった教会は新しい牧師を求めるし、連敗のスポーツチームは新しい監督を迎える。そそいて、損失を出し続ける企業には新しいCEOが雇われる。

サンクチュアリ教会に所属する、一人一人が 「真のリーダー」です。
この世に大きな革命をおこしていきましょう♪
権力による革命ではなくて、「愛」と、「愛に基づく行動」での革命です。

追伸:
宣教本部のエルダーさんが、なんと!日本語でブログを開始して下さいました!
びっくりぽんで、本当にありがたいことです。
Thank you very much!!
http://worldmissionhq.muragon.com/

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お父様の二世へのみ言葉

お父様の二世へ語られたみ言葉・・・

あらためてみ言葉を聞くと
懐かしいお父様のお姿。お父様の声。 本当にお会いしたいです。
そして、短いみ言葉ではありますが、私達の責任の重さを感じさせられます。
サンクチュアリ教会から、本当の意味での「心情文化世界」を築いていかないといけないですね。

さようなら Good Bye.  その時は笑いがおこりましたが
この一言は遺言のようです。(今となっては・・・)

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