姜賢賓(カンヒョンシル)先生がサンクチュアリ教会へ

サンクチュアリNewsに以下の投稿がありました。

姜賢実(カン・ヒョンシル)先生がサンクチュアリに!
感動的な証文を上記サイトからご覧ください。

以下、カンヒョンシル先生の略歴です。家庭連合の良識ある方は目覚めていただきたい・・・・
一号伝道師 
姜賢賓(カンヒョンシル)先生


1927.10 慶尚北道栄州にて出生
1951.1  釜山凡川長老教会伝道師
1952.5  統一教会入教
1952.8  高麗神学校中退
1953.7  大邱教会開拓
1956.6  大田教会開拓
1957.1  光州教会開拓
1970.1  釜山鎮教会開拓
1971.6  全国特別巡回師
1974.10 超教派基督協会婦女局長


真理の前に立って

人間はどこの誰も例外なく、善良で価値があり、また誇りある生活を願っている。しかし、心で望むままに生きることができないのが、堕落人間の実情である。私は真実に生きようと、努力をして誠を尽くせば、またどこからか真実なる声が聞こえてくるのではないかと思い、いろいろな所を訪ねて回った。あるときは夜を明かして「愛する主様、私は真実にあなたを愛します。私に現れて神様のみ旨を教えてくださり、神様のみ旨のままに生きることのできるよう主管してください。呼ばれるままに従い、引っ張られるままに柔順に屈服します」と誓ったことがどれほどだったか、どんな困難も乗り越えながら駅で、病院で、街角でのどを詰まらせて泣き叫びながら、伝道生活もしてきた。行き来る人たちの霊を考えるときは、心が急ぎ彼らにみ言葉を伝えないわけにはいかないと、たまらなかった。

その当時私は、二十代の初めであった。聴衆たちを前に、泣き声の混じった清く澄んだ声と、輝く瞳で彼らの心霊を透視しながら、死力を尽くして叫んだ。そのとき私の真実なる言葉に感動して、イエス様を命の救い主として受け入れた人も多かった。

南韓においての統一教会の出発は、私一人が伝道されることによって始まった。統一教会の出発は、荒野と似ていた。草一本もない、荒廃した土地、いばらのやぶと石ころと野獣が群がる土地。荒野には垣根がないので、恐ろしいけれど、その中に神様の声を聞くことができた。荒野には飾りとうそがなかったため、悔い改めよ天国が近づいたという主の声だけが残っていた。荒野は獣が襲いかかってきやすい所なので、あっちこっちへ追い払われ、逃げながら生きていかねばならなかった。しかしその中で、望みと正義と愛と謙遜の導きがあったゆえに、喜びと安らぎがあった。

統一教会の血と涙でつづられた草創期は、苦労とあざ笑いと蔑視で一貫された。釜山のボムネッコルで新しいみ言葉を宣布した後、三十余年の歳月が流れた。今の統一教会は世界的な教会になり、真理は勝利する、すべてのことは真へ帰結するということを実証できた。しかしその過程は言葉でいえないくらい、大変なものだった。

振り返ってみると、まぶたに浮かぶ思い出に、胸が締め付けられる。未熟でいたらない私を呼んでくださり、新しい歴史の役事として働けとむちをあててくださったが、満足させることができなかったことに、神様の前に申し訳ないばかりである。今になり、毎日悔い改めの祈りが私から消えることがない。悔い改めて許しを祈ったら、許してくださる神の愛の感じ、慰めを受けた。人間が動物と違う点は、真実に誇らしく生きるところにあると思う。

私は真実な信仰者になるために、神学を勉強することに決心した。肉身の父は日帝時代、神社参拝を拒否して投獄され、あまりにひどい拷問で重病になり、出獄したが、解放の喜びも知らず他界した。私は父が行かれた道を代わって行かなければならない、また成し得ずに残されたことをしなければならないという気持ちで、高麗神学校に入学した。高麗神学校は日帝時代、神社参拝を拒否して投獄された聖徒たちが、出獄後建てた学校であった。そして聖書のみ言葉のまま生きようと、努力して実践した。

聖日になれば四キロ以上は歩かず、他人が接待してくださる食事も食べなかった。その理由は、安息日を神聖に守りなさいという、聖書のみ言葉のためだった。また一日に聖書を六十ページ以上義務的に読まなければならず、三時間以上祈祷しなければならなかった。また三軒以上訪問して伝道しなければならなかった。私は凡川教会の伝道師の職も受け持っていたために、より熱心だった。

不思議な話をする若い青年

春の気候が眠っていた大地を呼び起こす五月のある日、一人の女子大生が訪ねて来て、「あのボムネッコルの谷に伝道しに行ったら、ある青年が不思議な話をしている」と言った。何が不思議なことなのかと聞いたら「私たち堕落人間たちが、堕落前の世界を捜すことのできる方法を紹介すると言って大変です」と言った。「あなた、何かが間違っているんじゃないか、終末には偽キリストが多く表れるという、絶対に行くな、私が確認した後に行きなさい。その前に行ってはいけない」と私は強くその学生をしかった。

ボムネッコル青年! 私は毎日この問題を前に三時間以上祈祷を捧げた。「神様! 不思議な青年が、ボムネッコルで不思議な話をしていると言うのですが、神様のみ旨であれば行かせてくださり、そうでなければ、行く道を防いでください」と一週間祈祷した。

一九五二年五月十日、雨が降っているので、訪問伝道には行けず、教会で祈祷していた。そうすると、ふと祈祷の途中でボムネッコルの青年に会わなければならないと、そういう決心をして訪ねて行った。理由は伝道に夢中であったときだから…。

しっかりしていて、神様が使えるような存在であれば、伝道して神様の仕事をする働き手にしようという気持ちからであった。その青年の姓も名も知らなかった。顔も家も知らなかった。その女子学生が、男性たちだけで自炊しているようです、という言葉だけを思い出して出かけた。ボムネッコルの坂道を登りながら、男だけが自炊している家はどこだろうかと、訪ねながら行ったが、知っている人はいなかった。しかし神様が教えてくださるだろうという信仰だけをもって続けて訪ねながら回った。

しばらくうろついて、一人の夫人に訪ねると、「あの一番上に登ると井戸が一つあります。その井戸の横に粗末な家が一つあります。そこに青年たちが住んでいます」と教えてくれた。井戸に着くと美しいおばさんがいた。「この近くに青年たちが自炊している家があるということですが、どこでしょうか」と聞くと「あなたは、どこの会社に通っていらっしゃるのですか」と聴いた。「いいえ、私はイエスを信じる者です。と言ったら案内してくれた。

部屋に入って祈祷を捧げ、起き上がり、部屋の中を眺めてみて私は驚いた。その部屋はあまりにもみすぼらしく、それは泥と石を混ぜて、べたべたつけただけの家だった。床は畳二枚にもならない部屋で、壁は紙を一枚もはっていない泥のままだった。天井は雨が漏るのか、あちらこちらがまだらになっており、床は古いカッパの切れ端を敷いていて、ちょうど田舎の馬小屋のようだった。私はその家を見て、人がこの世にこのような家に生まれて死んだなら、どんなに多くの恨みが残るだろうかと考えた。

そのように思っていたとき、労働者タイプの一人の青年が入ってきた。身なりがあまりにもみすぼらしく、色あせたカーキ色の韓服スボンと、赤銅色のよれよれジャンパーを着ていて、靴は米軍たちが履き残した国防色の荒々しい物を履いていた。

そして私を見て「どこから来られましたか」というので、「この下の凡川教会で仕事をしている伝道師です」と答えると、大きな座布団を敷いてくださり、座りなさいと勧めてくださった。そのときになってこの方が、不思議な話をする青年だと分かった。その青年は、「神様は七年前から伝道師をとても愛しておられました」と言った。その話を聞いて、七年前のことを振り返ってみると、その年が福音事業のために私の一生を神様に捧げる決心をした年であった。それで心の中で、この青年は何か少し知っていると思った。

「今日はよくいらっしゃいました。今日は五月十日で意味のある日です。私が北韓から避難して、文を書き始めたのですが、今日はそれが終わる日です。(その日の午前に、原理原本の原稿を書き終えた)今ようやく完成したので、今日は午後から伝道しなければと考えていました」と言われた。

「お父様、聖徒が会いたくて気が狂いそうです。お父様の約束の中には世界の人類が一つの兄弟となり、一つの世界を原理を中心にして成すことができると約束されたのですが、韓国に下りてきてまだ二人の聖徒も得ることができません。神様、聖徒を送ってくださらなければなりません」このように祈祷をして下りてきたのに、あなた自ら来たのかと言いながらその青年はとても喜んだ。その話をされてから、韓国についての話を始めた。

「韓国の土地は、これから全世界の山の頂のような役割をするから世界の人たちは韓国をうらやましがり、韓国人になることができないものかと、悔しく考えるときが来ます」と言われた。そして来られる主様は、エリヤが洗礼ヨハネとして来たように、肉身をもって現れて来ると言われた。

そこで私は、イエス様がどこにも来る所がなくて、韓国に来るのですかと反問した。そのとき話されたことは、一九五〇年にあの北韓の上空に、イエス様の顔が現れたことを無関心に過ごす問題ではないとおっしゃられた。

私一人に話をされるときも、数千名の群衆を前にして話されるように、とても大きな声で話されるので、鼓膜が破れるようだった。「今日私が間違って来たのか、鼓膜が破れる何かのことが起こるのではないか、静かに家に帰られないかも」という思いがした。

そのとき青年の目を見たら、ピカピカ光っているので、「ああおかしい、私の目がおかしいのか、青年の目がおかしいのか、どちらにせよ二つの目のうち一つはおかしい」と感じた。そこに座って、三時間以上お話を聞いたので「今日はこれまでにします」と言って、家に帰ろうとして立つと、夕食を食べて行きなさいとあまりにも勧めるので、断ることができず食事をした。

夕食のテーブルを見ると、あまりにもみすぼらしく、松の木の食卓の上にあるご飯の器は全部へこんだアルミニウムの茶碗だった。そのうえに、ご飯はがさがさした麦ご飯で、麦の黒いしっぽがそのままついていて、おかずはすえた大根キムチに豆腐を焼いただけのものだった。

食卓を横に置いて、私に祈祷をしなさいと言われたが、私は拒絶するしかなかった。なぜならば三時間以上その小さな部屋で、あまりにも自信のある言葉を聞いて、気力がなくなってしまったからである。私は二十六年間信仰生活をしてきたが、そのような信念のあふれたお話を聞いたことがなかった。長い間いつも祈祷引導をしてきたが、その日はとても勇気がでなかった。結局青年が祈祷したのだが、私はその祈祷に大いなる感銘を受けた。私も一日三時間以上祈祷してきたが、私の祈祷とは次元が違っていた。その青年の祈祷は、この世の人の誰にも通じる祈祷だった。神様の悲しくて苦しい事情を告げる祈祷だった。私は祈るたびに病気の人は病気が治り、試練に負けた者は試練に打ち勝てるように力をください、そして疲れ果てた者には、勇気をくださいと、このように祈祷の内容は一辺倒何かをくださいという祈祷だった。ところがその青年は、お父様のために何かをしてあげようという内容だった。お父様のみ旨を私が成し遂げて差し上げます、そしてお父様の恨みを解きます。お父様の国と世界を私が取り戻してあげます。お父様は六〇〇〇年の間安息できなかったのですが、必ず安息させてあげます。このように祈祷しながら、悲しく泣いた。涙には飾りもなく、うそも含まれないものだから、泣き声での祈祷に恩恵を受けた。

私はイエス様を空信仰していた

祈祷を終えて私は考えた。私がイエス様を信じ始めたのは、私が良くなるために、私の欲心を満たすためすなわち後ろを振り返って見るごとに、空信仰してきたなあ、何かが違っているなあ、私は呵責に胸が痛かった。私はイエス様を間違って信じていた。世の中の父母も、その父母のところに来て何かをもらって行く子女より、服一着でも、ご飯一膳でも接待してくれる者が貴重でいとしいものだ。よくよく考えてみると、神様は私より青年を愛されているという考えに至った。そうであれば、私の祈祷より青年の祈祷を聞いてくださると思った。

夕食を終えて、「今日三時間お話されたので、これですべて終わったのでしょうか」と聞いたら、「いいえ、私がお話しすれば何日も、夜通しで話すことができるし、そのときごとに新しいお話をすることができる」と言われた。私は心の中で、この青年はとても大きな話の包みをもっているなあ、聖書に対して新しいみ言葉をどれだけでも話せるというのはすごいことだと思った。

「ええ! そんなにする話が多いのですか? そうしたら私はまた来ます!」と答えた。「この家は見た目にはみすぼらしいですが、いつでも門を開けて生命のみ言葉を探して来る者を待っています。人生の根本問題と宇宙の根本問題を一つ一つ教えていますから、必ず来なければなりません」と念を押された。

私はその土窟のような粗末な小屋の家を出て、帰ったときは、私が私でないような感じだった。神学校で習ったすべての神学の内容が、一時に崩れたように思った。どうしてだろうか? その青年の話を聞いた後から、私の人生が無にかえっていくようで、祈祷をささげても答えてくださるようではなかった。世の中には本当に不思議なこともある。その次の週の月曜日から訪ねて行く気持ちだったが、三時間聞いたみ言葉をよくよく考えてみると、あまりにも確実な内容なので、木曜日に再び訪ねて行った。

訪ねて行った私をその青年が眺め見て、とても喜んだ。部屋にどうぞ入りなさいと言うので、私は心で疑心を持った。あの方はどうして私の訪問をこのように喜ぶのか? 若い男性で私が若い女性なので喜ぶのかと思うと、気分が良くなかった。座ってお話を聞いた。内容は、神様はどうしていらっしゃるかということなのだか、そのお話を聞くと、神様に対してもっと正確に知ることができた。

初めうれしそうに入ってきなさいと言ったときは、私が女性だから喜ぶのかと考えたが、後で分かってみると、私の生命の援助をしてあげようという意図で、私を喜んで迎えてくださったのだと分かって、頭が下がった。二日目もやはり三時間のお話を聞いた。お話の内容は創造原理に対してのもので、あまりにも自信のあるお話をされるので、そこで多くの感銘を受けた。

三度目に訪ねて行った日は、五月十六日金曜日だった。夕食を早く食べて訪ねて行ったら、その日はもっとうれしそうに迎えてくださった。二日間聞いた土台があったので、三日目はもっと完全に酔ってきた。あーこれならばいい。今この時間も世の中の人は争い、殺し、暗い中で騒いでいるのに、私は新しいみ言葉を手にいれ、体がどこにあるのか、時間が経つのも分からなかった。

「あのー、ひとつお願いがあります」「何でしょうか」「先生として侍りたいのですが、先生と呼んでもいいでしょうか」、ぼろぼろの着物を着た青年を、私は先生と呼ぶことにした。その方こそ文鮮明先生であった。私の横で熱心に肖像画を描いていた青年と、おばさんがうれしい表情になった。この青年は金元弼先生で、おばさんは玉世賢お母さんだった。お話がほとんど終わるころ時計を見ると、早朝四時を少し回ったところだった。

祈祷してごらんなさい

四時半には早朝祈祷を導かなければならないのに、四時十五分ごろになってお話が終わったので、準備が全くできなかった。教会に下りてきて祈祷会を引導しようとすると、準備なく前に出たので、心が重かった。ところが祈祷する途中で、信徒たちが悔い改めて頭をむしり取ったり、胸を叩いたり、礼拝堂の床を叩いて慟哭する人もいた。私には不思議に思われた。ふだん祈祷するとき、準備をたくさんしてもこのようなことはないのに。ふと、ちょうど三日間聞いたみ言葉を伝えたためであると悟った。その日が土曜日だったので、訪問するのだが、先生のことが頭から離れなかった。すぐに行って会いたいと思うばかりだった。それでI緒に訪問している執事と話をした。「執事様、ボムネッコルにある一人の青年がいて、イエス様はよく信じていますが、教会に出てこない人がいます」、「それでは行って来なさい」このようにして、その執事は長老の家で待つことにして訪ねて行った。

そのとき青年は外におられたが、私に喜んで会ってくださった。「今訪問する途中で来たので、すぐ行かねばなりません」「二十分だけ話を聞いて行けばいいんです」と言いながら話をされた。「今までみ言葉をたくさん聞いたが、このみ言葉は神様から来たものか、人間の頭から作られたものか、その出所を知りたくありませんか?」「ええ、知りたいのです、どうすれば知ることができますか?」「それではお祈りしてみなさい。神様は必ず教えてくださいます」そのとき私はうれしかった。もしそのときまでしてくださったお話が神様から来たみ言葉で、このみ言葉を信じなければ滅び地獄に行きますと言われれば、私はそのまま降りて行くのですが、祈祷してみなさいと話されるのが、どうしてなのかうれしかった。「祈祷してみます」「子女がもちをくれと言うのを、石をやる父母がどこにいるか、魚をくれというのに蛇をやる父母がどこにいるでしょうか? 神様は熱心に懇切に祈祷すれば必ず答えてくださるものです」そのみ言葉には力があった。

三日間おしになった

次の日が聖日であった。そこで月曜日早朝から、このみ言葉に対して出所を知るために祈祷を始めた。うつぶして祈祷する途中に、神学校で習った理論が頭をさーっとよぎった。ところで立派な理論はたくさんあるが、その理論を実践する人が少ないことが切なかった。世の中にあるたくさんの理論を、実践に移せないのでそのままだろうが、文先生が話されるのも理論の一つで終わるだろう。本当に話されるままに実践できそうではなかった。このような考えと共に頭が痛くなり、胸が苦しくなってきた。神様、天のお父様と呼んでも、舌が回らなく口が開かないので、祈祷の門が閉じておしになってしまった。私は心の中で祈祷した。「主様、私が何の罪を犯したので、お父様と私の間にこのような壁ができたのでしょうか? この障壁のために胸がきつく息が詰まるようで、神様、障壁を崩してください」と祈祷をささげた。

私は悟った。体が炎で燃え広がっている所が地獄でなく、私が神様から離れているとき、すなわち神様が私の中にいらっしゃらないことが地獄だと悟ったのである。私が神様の愛の主管圏におれなくてえ、非原理圏にいるのが地獄なのだ。そのとき私は地獄が何なのか感じた。言葉もしゃべれないし、息も充分に吸えないし、胸の中が焼けるようだった。「お父様、私からすべてを奪ってもいいです。しかし、お父様と通じることのできる祈祷の道だけは取り上げないでください。神様と私の間に心情的で、内的な道だけは断たないでください」言葉の門が閉ざされてみると、あまりにも苦痛だった。

話せない、おしになって三日が過ぎた。この三日間はどんなにか長く苦痛な時間か、約三年の歳月が経ったような気分だった。四日目もやはり教会に行った。教会で祈祷をささげるのだが、「お前、人の言葉も信じられず受けられない者が、神様のみ言葉をどれくらい信じて、どれくらい受け入れられるか」という心の声がした。

神を愛していると言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない、というヨハネI四・二〇のみ言葉が思い出され悔い改めの祈祷を始めた。「私は人の言葉を信じられず、受け入れない者になりました。私の不信の罪を許してください」このように悔い改めの祈祷をしたら、頭が痛いのも、胸が苦しかったのもなくなって、心も体もすがすがしくなった。それで「お父様:」と呼んでみたら、おしになっていた口が開いて、「お父様」、「神様」、「主様」と呼べるようになっていた。

それで喜びの心で朝食をする前に、先生の所に走って行った。三日間行けなくて行ったので、「どうして三日間も出てこなかったの」と言われた。「私は三日間地獄に行ってきました。先生にお会いする前はそんなことはなかったのですが、お会いしたときに頭が痛く、胸が苦しく、祈祷の門が閉ざされ三日間おしになりました。その間たくさんの時間を奪われて、心霊的にはたくさん傷つきましたので、損をしたものを賠償してください」と言ったら先生がみ言葉を語った。「祈祷しようとしたら、疑っていなかったですか」「我知らず疑いの心が出てきました」「おしになったのは疑ったからでしょう」先生は私に話をしようとされたのが、損害賠償を請求するという私の立場なので通じなかった。私がそのようにしたので、先生は外に出られた。

玉世賢お母さんの証詞に感動

そのとき玉世賢お母さんが私に話しかけてきた。「あの方は立派な方です。神様が愛されている方です」 「私に良いお話をしてくださると思ったのに、なぜ先生の自慢ばかりしますか?おばさんはいつ、またどのようにお会いになったのですか?」「私は啓示を受けて来ました」「啓示が何ですか」「神様の声を聞いたのです」「本当に聞いたのですか? 私は二十六年間もイエス様を信じていたですが、神様の声を一度も聞けませんでした。私もどうしても聞きたいのですが、どのようにすれば聞けますかり」玉世賢お母さんは伝道されたときを回想しながら話をしてくださった。

篤実な長老教会の長老夫人として、恩恵をたくさん受けたこられた方だった。「ある日家で祈祷をささげていると、天から声が聞こえてきました。萬寿台の向かい側に若い師匠様がいらっしゃるので、訪ねて行って会ってみなさいというので訪ねて行ったら、すぐ先生がいらっしゃって会って伝道されたのです。そして平壌で小さな小屋を一つ得て礼拝をしていたとき、平壌市内の信仰深い原師、執事、平信徒たちがたくさん集まってきました。神様から声と啓示を受けた者たちでしょう。そうしたら平壌市内の牧師たちが、長老たちと会議を開いて、このままおけば駄目だと決議したのです。社会秩序を蹂躙して、教会員たちを奪っていったと警察に投書をしたので、結局先生は平壌の獄中に収監されたのです。そのとき私は、はったい粉と服を作ってたびたび面会に行きました」このようにお話されながら、涙をふかれた。損害賠償を請求しようとする私の心の隅に、おばさんの涙が落ちるようで、私が悪かったのだという思いになった。

「夫が長老教会の長老なので、面会に行くのが難しかった。一ヵ月一回平壌から興南へ通わなければならないから、並大抵のことではありませんでした。あるときは汽車の中で祈祷をしました。(神様私は文先生に面会に行くのを次からはやめます)としたら、白い服を着た老人が出てきました。お前どうして行かないことのするのか、今は陰に埋もれて臭い獄中にいるけれども、その先生に無数な人が集まるときが来る。だから、大変だけれど、続けなさいということでした。その後続けて面会に通いました」その話を聞いて私は感動した。

玉世賢お母さんにどのようにすれば神の声を聞くことができるのかと尋ねた。「私心を捨てて真心から祈祷すればよいのです」と言われた。しかし声は聞こえなかった。ある日教会に行って真心から祈祷をささげると声が聞こえた。その声はピリピ三・二〇のみ言葉だった。

「私たちの国籍は天にある。そこから救主、主イエス・キリストの来られるのを、私たちは望んでいる」という声が三回も聞こえた。それで起きて周囲と天井を見回したが、空の教会堂には私一人だけだった。間違いなく神様の声を聞いたのだ。それでまた先生を訪れた。

「先生祈祷中に声が聞こえてきました」「何の声で…」と言われたので、聞いた内容をお話したら、「伝道師様、そんなにしたら気違いになるかもよ」と笑われた。

「私がイエス様をよく、また正しく信じようとすることだけなのに、気が狂えばどうなりますか?」と言うと「気違いになっても神様のため、善のために気違いになったら良いことだから安心しなさい」と言ってくださった。

疑心の反復か私の心を貫く

声を聞いた後が問題だった。この道を行かねばならないか、行くべきではないか。そのときの環境を見ると、とても信じることができなかった。部屋は畳二枚ににもならないし、雨漏りがする洞穴のような所で礼拝をするし、礼拝を受ける者も二、三人だけなので信じ難かった。話されるみ言葉は、とても大きく高くて、聞くときはもっともだと認めるのだが、少し経てば信じられなくなり、疑いがわき起こった。「私がなぜ偏屈にイエス様を信じようとするのか。長老教会に通っても、いくらでも救いを受けられるのに」と、このように個人的な考えが先に立って、悩み始めた。そして、他の教会では礼拝を終えた後に信徒たちが人山人海(注八非常に多くの人の例え)のようにあふれ出てくるのに、ここは二、三人だけなのでとても自信をもち続けることができなかった。

そしてある日先生の所に上、っていったが、松の木の角で「今日からはこの道を通いません。別れのあいさつをして来なければ」と心に決めた。いつでもこのような考えで、先生の所に行けば、五時間以上講義を聞いてくるのであった。帰るときは自分自身をしかった。確かにここには引力があった。それてその日は心に固く決めて、上っていって先生のいらっしゃる部屋をたたいた。他のときであれば、人の気配がすれば喜んで迎えてくださった先生が、その日はむっとした表情をして座っていらっしゃった。

「そこにちょっと座りなさい。今日は上って来ながら何を考えましたか」「私は別に覚えておりません」「それでは私が教えてあげます。すく角の松の木がある所で、二度と来ないという決心をして、別れのあいさつをして来なければという考えではありませんでしたか」私は私の秘密を知って指摘される先生に、頭を下げるしかなかった。二つの目は驚いて目を見張るだけたった。一人だけで考えたことを当てるので、人間ではなく、神と同じだと思った。そしてお話をしてくださった。

「ふろしき包みを持って行くことはできます。しかしいくらも行かずに再び戻って来るものを、なぜ不要な苦労をしようとするのですか」私はまたその場でたくさんのみ言葉を聞いた。お話を聞くと、今まで疑ったことがすべて納得できた。ところが、帰るや否や疑心が生まれた。

ある日私が習った神学校の理論と、先生が今まで話してくださった原理と対比して討論するために訪ねていった。「先生、イエス様を信じるのに何の数字が必要ですか。四十日、四〇〇年、四〇〇〇年。このように四数をもって聖書を解釈されるのですが、私は神様の摂理がそのようになっているとは信じません」と言ったら、突然頭が痛み胸が苦しくなった。そして口からは血まであふれてきた。私が考えてみても不思議なことだった。そのとき先生があごに手を当てると、うそのように血が止まり頭がさわやかになった。このように痛いところを治してくださるので、この道をまた行かねばならないと考えた。そして治ってから、また何時間かお話を聞いた。

またある日先生を訪ねて行った。その日は特に先生の服装と家があまりにもみすぼらしく思えた。お話を聞くことに、とてつもない話をされるのだが、みすぼらしい様子を見ると、また理論であって実際は難しいという思いがしてくるのであった。私の顔を眺めていらっしゃる先生は、「聖書をどこでも開いてみなさい」と話された。開くと「三一節を読んでみなさい」と言われた。そこはマタイ福音書一四章三一節で、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と書いてあった。そのとき先生は聖書をもって、「これは私の話ではなく神の話で、少ししか信じられない者よなぜ疑ったのか」と言ってしかられた。

「これからこの原理で、キリスト教が統一される日が来るのです」と言われた。「キリスト教が統一されたら、巨頭な人物たちが集まって会議をし、その方法を模索しなければならないのに、このボムネッコルでわずか三人で統一させることができますか」という私の言葉を間いて、笑いながら「今は大変そうに見えるけれども、いくらもたたずにそのようになるのです。このように宗教も統一され、世界も統一され、天宙も統一されるのです」と言われた。ある日私は光復洞の国際市場の前を歩いていたとき、争う男と女を見た。二人はあらゆる悪口を言って血まみれになってもまだ争っていた。私は心の中が穏やかでなかった。「あのように、けんかをしている人たちはたくさんいるのに、いつ地上天国はできるのか。天国ができるとは、とても信じることができない」と思ったら足が地面から離れなかった。足がしびれるように痛くなってくると、一歩も動かすことができなかった。神様はどうして私の思いのままに考えさせず、気のままに歩くこともさせないのですか。私は道に立って声を聞いた。「お前に何度も現れて教えたにもかかわらず、君はそれでも不信し疑うのか、君はすることが多い人間だ、あの叫んでいる人間の声が聞こえないのか。あなたは彼らの生命を父の愛の中に導くべき伝道師というわけだ」はっきりと神様は私に聞かせてくれた。そしてその場で神様のみ旨の通り、み言葉の通り行いますと誓い悔い改めると、痛い足が地面から離れて歩けるようになった。このような話を誰かに言ったらうそだと言ったが、私にはそれが真実だった。

父よこの道を死ぬまで行きます

疑問と啓示が繰り返したある日、私は談判祈祷をした。内容は私が行く道で、神様が願っている道はどんなものなのかということだった。祈祷していたある日、祈祷の答えをくださった。「私が六〇〇〇年間摂理し役事してきたのがこの道だ」と。

神様は私が仕事をし、私が考えるにも私の気のままにさせなかった。ただ神様と因縁を結んで、そのたびごとに懲戒し導いてくださった。そして最後に談判祈祷したときにも、神様は答えてくださった。その答えの恵みを最後に、私は私の行く道を確実に定めた。そしてすべての生活の中心を先生に向けた。そしてこのような道を死ぬまで行くことに決心した。

ある日、先生が私に「明日は誰かに会うだろうが、その人を伝道してみなさい」とおっしゃった。次の日、早朝祈祷を終えて勧士の一人に我が家に行こうと勧めて、家で話を交わした。「勧士様、イエス様を信じる目的は何ですか。主様に会い救いを得るのではないですか。その主様はいつこの地上来られるのか、一度祈祷してみましょう」と。

その後、毎日早朝冷水欲をし、勧士様と祈祷した。そして何日間か経ってその人は幻を見た。「最初は火がついた電球が三つ見えて、その次には無窮花が三つ見えて、イエス様の顔がその上に現れた」と言った。幻で見せてくださったものは何かとまた祈祷すると、「電気は明るい光を指し、無窮花は韓国を意味し、イエス様の顔は主様を意味すると教えてくれた」と言った。私はその言葉を聞いて、一度祈祷して解決されたとは言えないから、もう一度祈祷してみなさい」と言った。やはり同じ問題で祈祷を捧げたが、今度は変な山が一つ見えて、その次に背がスラリとした青年が一人見えたと言った。

その後、私はその勧士様を連れて、先生のいらっしゃる家に行ってみることにした。行く途中勧士様が私に言った。「伝道師さんおかしいです」「今朝祈祷のときに見たものです」先生がいらっしゃる家の門の前に着いた。「本当に不思議ですね。この家は私が祈祷するときに見たものと同じです」こんな話をしているときに、先生が戸を開けて出てこられた。先生を見ると幻で見た人とまったく同じだと言いながら、とても喜んで、謙遜にあいさつをした。「勧士様に幻を見せたのは、姜伝道師があまりにも信じることができなく、勧士様の証拠を通して、信じさせようとしたものです」と先生がおっしゃった。

人が反対する道をなぜ行かなければならないのか?

ある日、神学校の創始者である韓牧師が、西面で復興会をすると先生にお話した。「では姜伝道師が行って会ってみたら」とおっしゃった。その方は神学博士で神社参拝を拒否したという理由で、七年間も獄中生活をした人だった。霊界から協助だけされれば問題がないと思い、訪ねて行った。復興会が終わって牧師に話し始めた。

「牧師さん、この頃私は立派な話をする先生にお会いしました。聖書六六巻の疑問点を確実に解放される方です。不思議なことに疑ったならば、頭が痛く胸が苦しくおしになり、足が地面にくっついてしまうことがありました。牧師様も行かれて調べてみればよいです」と信仰体験を話した。私の話を聞いた牧師は顔の色がすぐ変わった。「長老教会のイエス様を信じても救いを受けられるのに、なぜ他の所に行きますか」すぐ行くのをやめなさいと言われるのだった。

これ以上結論を出せなくなって帰ってきた。帰って先生に報告をした。「霊界から協助をしてくれるものと思っていたのですが、通じませんでした」と。私の報告を聞いた先生は、賛美歌を歌おうと言われた。

「泰山を越え険しい谷に行っても、光の中へ歩いて行けば主様が捨てないと約束した言葉は変わらないね」

三人が全員で歌い、涙の海となった。そして祈祷をした。「お父様、どうして人が違うという道を行かねばなりませんか。お父様が約束されたみ旨を成し遂げるためです。どんなに大変で難しいことであっても必ず成し遂げてみせます」他は反対しますが、神様のみ旨であるので、この道を行かなければならないと何回も誓った。

大邱四十日伝道に出る

私は先生のみ旨に従って、一九五三年七月二十日大邱に伝道に出かけた。それは南韓で第一に、教勢の大きい所が、大邱であったからだ。韓国で公式的な夏期啓蒙伝道実施は一九五七年七月二十日であったが、私はその四年前七月二十日に出発した。出かける前にある食口が服を二着買ってくれた。それを先生が見て一着を後ろに隠された。私には「男性が女性の服を持って何をされるのか」と秘かに不満が生まれた。旅費をくださったが、汽車代と米一升分の金額だけだった。四十日間伝道に出るのに、四十日食べる米一升分の金額だけたった。四十日間伝道に出るのに四十日食べる米代ではなく、一升の米代しかくださらなかったので恨めしかった。後で分かったのが、それには大きな意味があった。二〇〇〇年前イエス様が伝道に出かけるとき、弟子に服を二着持って行くな、お金を入れる袋を持つなと言われたので、先生もそのような道を行きなさいということであったのだ。

「私は本当は困難と苦痛の道に送りたくない。もしかして狼の群れに送り、けがをしたり、傷ついたりして恐いけれど、送らなければならない心情を理解してほしい」との内容を聞いて出発することになった。孤独なときはお父様と呼べば神様が訪ねて来られて、慰労して導いてくださり、生きておられるお父様は私の味方であると重ねて強調された。そしてまたその背後から先生以上に気遣ってくださり、また私たちを味方になって協助をしてくださる神様がいらっしゃることを一時も忘れないでほしいと願われた。

私は聖書と服を入れた白い人造絹のふろしきを持って、下りながら後ろを振り返った。私を物静かに眺めておられる様子は「大邱に必ず教会を一つ建てて戻って来なさい」という表情だった。顔の表情がそうであるから、心はなお慟哭されているようだった。そのとき私は考えた。人がいなくて、何もない私にこのような大きな期待と願望をかけなければならない先生は、哀れでかわいそうな立場だと、私も心の中で泣きながら「必ず勝利します」と手を振りながら、別れのあいさつをした。

私は大邱駅で降りたが、行く所がなかった。教会も多く人が多いが、神様の本当の心情を知る人がいないと考えたとき、あまりにも孤独だった。一人で市内から歩きながら祈祷をすると、天より声が聞こえてきた。「賢實! 賢實! 賢實! 私は六〇〇〇年間地上の人類を救うため苦労したが、お前は一年歩いたたけでも苦労だというのか! 私がお前に勇気をやるから、強く雄々しくなって力を出せ!」そのとき私は「神様、私の力では一歩も動くことができません。同行してください」と祈った。私は今も難しいことに出会えば、「神様、大邱の路上で聞かせてくださった声を今も聞かせてください」と祈祷をささげる。

日が暮れて夜になったが、寝る所がなかった。寝るよりもまず祈祷する所が必要だった。そこで、大邱で一番大きいソムン教会に訪ねて行った。徹夜祈祷をするためだった。大邱にお父様のみ旨と、心情を知る者が一人だと考えるときは、お父様に頼るより他はなかった。

先生は伝道に狂われた人

次の日の朝一人の執事を送ってくださって、一緒に大明洞の裏にある大徳山(そのときはアンジランイ山と言った)に登った。数ある峰の内でも一番高い峰に登って祈祷をささげ、歌を歌った。

「来たれ友よ園の春は季節に花咲、嬉し春を楽しむエデンの友よ、すべて来たり踊ろう春を歌おう」三節まで歌ってまた歌った。

このように一人で酔って歌を歌うのだが、下の方で大勢の夫人たちの「ここに人がいるよ」という声が聞こえた。そこでこれは何の声だろうと思っていると、「私たちは長老教会の執事で十日間山祈祷をするために来ました」と言った。その人たちは下の祈祷所で私の歌声を聞いて、あそこに人がいるようだ、あるいは天使の歌声かと言いながら、互いにかけまでして捜し登って来たのだと言った。そう言い、とても喜びながら、あなたは何かとてもよく知っている人のようだ。するべきことをしたら、み言葉を語って、集会を引導してほしいと一生懸命頼まれました。

私にはそのような実力はないと遠慮した。しかし頑として要請するので、それでは一緒に恩恵を受けましょうと言いながら承諾し、その日の夕方初めての礼拝をしたのだが、説明することのできないくらい大きな恩恵が与えられた。十名の執事たちの中には幻想を見た者もおり、また異言を語る者もいた。ある人は白いズボンにからむしの開襟シャツを着て、体つきのガッシリした青年が、岩の上に立って祈祷しているのを見た人もいた。正にその方は文鮮明先生だった。

霊的に先生がその山に来られて、祈祷してくださったのだ。原理のみ言葉には確かに引力があった。夜、岩の上に横になって寝てみれば、昼の強い太陽の熱気で背中が温かくなってきた。そして急に眠くなり、また手足までも温もりを感じるようになった。そして目が覚めてみれば、彼女らは恩恵を受けて、みな私の腕と脚を静かにつかんでいた。そこでなぜ寝ないで座っているのかと聞いた。彼らはこのようにつかんで座っていることが、寝るより祈祷しているより恩恵を受けられるようだと言った。また静かな所で祈祷しようとすれば、ぞろぞろとついて来るし、手を洗おうと泉のある所にでも行こうとすれば、一緒に行こうとついて来た。

十日間留まっている間、十名の執事たちは多くの恩恵を受けた。それで彼らは今主様が来られたならば、いくらでもお会いできるし、また死ぬとしても天国は問題なく行くことができると自信ありげに言った。

彼らは山で相談した。この山を下りてすぐ部屋を借りて教会を造ろうと言う意見になり、南山洞に一つに部屋を借りて礼拝を始めた。ところで礼拝を四回ないし五回すると、近所のうわさをしたとか、すく横に教会があるのに教会に行って礼拝を受けないで、家で礼拝をしているということでうわさが立ち、引っ越しをしなければならなくなった。他の村に行ってもやはり同じだった。一日に引っ越しを二回する日もあった。

それだけでなく、既成キリスト教会の反対で私たちが捜査線上にのったこともあった。社会秩序を乱し、自分たちの教会員を奪っていくので許すことができないと警察に告発した。それで変装して通ったが、また変な人が後ろについて来ると、罪がないのに世の中で一番多き罪人のように隠れて通わなければならなかった。

そのときこのように追われていますが、お父様のみ旨を成し遂げた後には世界のすべての人たちが、ありがたいと感謝するのだ。その日まで私はどんなに大変で難しくても止めないで、最後まで戦って勝利しますと誓った。教会では、釜山から女の異端が入ってきて、勧士、執事たちがたくさんだまされてそこに行けば、失敗し、死んで地獄に行くから言ってはいけないと言った。しかし純粋な教会員たちは「神様から啓示を受けました。ここは真理の道です。原理の道だという声を聞きました」と言いながらたくさんの人たちが訪ねてきた。

引っ越しをあまりに何回もしたので、後で嫌になってしまい、食口たちに分からないように一人で引っ越しをした。しかし三日も経たないうちに食口が捜して来た。どうして分かったのか聞くと、「神様に祈祷したら、神様が教えてくださった」ということだった。

先生がそのときいらっしゃる所がなく、こっちに追われたりあっちに追われたりしながら大邱に来られたが、そのときも一ヵ月に三回も引っ越しをした。ある日、先生が私に宣戦布告をしなさいと言われた。宣戦布告がなんなのか聞くと、今日にいる牧師、長老、教授で神霊的によく感じる彼らにこのみ旨を伝えなさいというみ言葉であった。

そのときは地方のどこにいっても私たちの食口は一人もおらず、もちろん教会も一つもなかった。食事はもらって食べ、寝る所は借りて寝るという状況だった。ふろしきに包んでいた服は家に来るときはすべてなくなり、たった一着だけ着て帰ってきた。世話になった人たちに、一着ずつあげてきたからであった。

一度出かければ四十日、五十日、六十日、八十日づつみ言葉を伝えて帰った。先生は昔も今も伝道に狂われたような人である。八十日間、もらって食べ、借りて寝ながら、帰ってきて報告をすれば、その報告をすべて聞かれて、「では今度いつ出かけるか」と言われる言葉を聞くとき、胸がドキンとするときがあった。一晩でも伝道ということを考えないで過ごせたらどんなに良いだろうかと考えるときもあった。

行く所ごとに証詞が

一九五四年四月忠南、大田に立ち寄ったときであった。ここには数十年間霊界に通じているペクシンミョンさんというおばあさんがいらっしゃった。あまりにも名が知られているので訪ねて行った。彼女は私を見てすぐ、「あなたは天使長的ラッパの使命をしています」と言われた。天使長が空中からラッパを吹いて下りてくるものとしか思ってなかった。そこで後で先生にお話しすると、新しい便りを証詞する者は、天使長がラッパを吹くのと同じような使命だと言われた。

それから先生と、いろいろな食口たちが写っている写真があったが、先生を指差しながら「ここに宗教を統一される方がいらっしゃる」と言いながら喜んだ。そして私にあなたが行く道は、無限に狭く険しい道であるので、誰も行くのを嫌がるのである。遠からずして世界の人たちがすべて行かねばならない道だから、難しくても必ずこの道を行きなさいと激励してくれた。しかし私はそのとき、その方のお話を信じられなかった。韓国人一人でも伝道するのがこれほど難しく大変なのに、世界の人たちが訪ねてくるとはどうにも理解することができなかった。

今はその方がお話しされたように、一三〇余カ国に宣教師たちが出かけて宣教活動を展開している。三十年前の預言が現実になった。世界広範囲に宣教活動をしている統一食□たちは、韓国を真理の母国とし、無限にあこがれ懐かしがり、また思慕している。生きている間に信仰の宗主国である韓国の地に、足を踏み入れることを願っている人たちが世界に広がっていることを考えるとき、熱い涙があふれて神様に感謝している。一人の方から始まったのであるが、今はどこに行っても統一教会がない所がない。私はそのとき三十歳にもならない若い年で、南韓一帯を何回も巡回した。全羅北道裡里であったことは忘れることができない。

裡里駅で降りたが行く所がなかった。神様導いてください、と祈祷しながら歩いていると、白いチマ・チョゴリを着たおばあさんが私を見て、「先生今来られたのですか」と言ったが、私はどう見ても知らない人なので、いつどこで私に会ったことがあるのか尋ねた。その人の答えはこうであった。「私も知らないけれど、今朝早く祈祷をささげると、先生の顔が幻想で現れました。今日こういう方が来るから待っていて、お迎えしなさいという言葉があったので、今待っていると先生が来られました」と言って、とても喜んだ。その人は化粧品の販売をしている人だが、時間がないと言って今日は商売にも出ないで待っていたと言った。その人は真のみ言葉を捜し、全羅道一帯をさまよったということだった。私はその人に祈祷の題目を上げた。「堕落はどうして起こったのか」と言ったら「不倫な愛の問題で堕落したと答えを受けた」と言った。復活は共同墓地の中から死体がよみがえるのではなく、我々の心霊が最高の境地に至るのだと言った。その人は原理を知らなかったが、祈祷で答えを出し、原理を証してくれた。その婦人の名は李スンヒーさんであった。

また忘れることのできないことは、忠清南道、公州で起きたことである。公州に到着したときは一文無しだった。歩いて行き、そしてあるおばあさんに私は声をかけた。この辺に部屋を一つ借りたいと言った。どうしてかと聞かれて、ここで一週間だけ伝道するのが私の願いです。そうすることによって公州に地に残されているすべての恨みが解けるようだと言ったら、自分の家に私を案内してくれた。その人は何の啓示を受けたか知らないが、至れり尽くせりで私を接待してくれた。一週間の原理講義もし、多くの心霊的な人たちにも会った。

その婦人は監理数のチョー勧士だった。一週間後にあいさつをして出るとき、その人は私に

「ちょっと待ってください」と言って奥に行き、新しいお金を一束持ってきた。そしてその人が言うには、「ニカ月間十分の一献金を集めてタンスの下に置いておいたが、どうしてか私にも分からないのですが、この十分の一献金を先生にあげたい」と言うのだった。

私は「監理数のために準備されたものを、受ける資格がない」と言ったが、「これは私があなたに上げるのでなく、神様が上げるのだから受け取りなさい」と何回も勧めるので受けた。

天安に来て一週間の間、部屋を借り伝道を終え、そのお金でソウルまで来て、先生にケーキ一箱を買って差し上げてもお金が残った。その額がいくらだったか覚えていないが、とても多くのお金だったと思われる。

そのとき私は神様がきっと私の父、すなわち姜賢實だけの父だと思った。私の背後には生きているお父様が同行され、同志、同益して疲れはてるときは勇気をくださり、悲しいときは慰め、お金がないときには誰かを通してでもためてくださる。天地万物を創造したその神様は、私の父であることを最も実感した。

一九五五年から一九六六年までパゴダ公園で伝道するとき、のどがかれて言葉をしゃべれなかった。先生に三日間だけ休ませてくださいと頼んだら、「のどがかれてしゃべれなかったら、公園の真ん中に立って手振り、足振り、身振りで立っていなさい」と言って督励してくださるのだった。伝道者の心霊が懇切なものであれば、手振り、足振り、身振りでするのを見てでも、食口になる人がいるだろうとおっしゃった。そのときの言葉がいつも私の耳元に残っている。

私は私が行っている険しい道を飛び出し、広い道を行こうと暴れた。神様はそのたびに、私は懲戒し神の狭い道を行くよう導いてくださった。それゆえに神様に対し恐縮で面目がない。神様のみ言葉の通り行動できず、いつも心配させる立場だったので、世界的に基盤を固めるこのとき、使命をすべて果たせないためとても胸が切ない。私一人を伝道するため、すべての苦難の道を嫌がらず歩いてこられて天の前に、あまりにも未熟な私を自らしかっている。

先生に最初お会いしてから、早三十年が過ぎた。満三十周年の長い歳月が過ぎたのだ。

一九五三年七月二十日大邱教会を開拓しながら、数え切れない引っ越しをした記憶は今も忘れられない。たき木と炭を頭に載せて運んだ二十六歳半ばの若いときだったので、その難しさも克服できたのではないだろうかと思う。

一九五六年六月十日大田教会を開拓した。伝道があまりにもできず、毎日大田市を七回りしながら祈祷した。ここで、神様が堕落した人類を救うためのもどかしさを実感した。

一九五七年七月二十日、光州教会を開拓するときには、数多い大学生たちが入京した。しかし一遍に全部み旨を捨てて出ていく姿を見たときには、限りなく慟哭した。神様が今も堕落した人間から裏切られていらっしゃることを体恤し、心が痛かったことを今も記憶している。

一九六九年釜山慎教会を開拓した。食口たちと苦楽を共にし、どういうふうにしたらみ旨にプラスになるか、神様が必要とする我々になれるかを祈祷し、精誠を尽くしたころが懐かしい。

一九七一年六月十五日、全国特別巡回師として南韓一帯を数回巡回した。行く所ごとにお父様を証し、同じ心情とみ旨で団結し、互いに愛し神の国と世界を成し遂げようと涙した。

一九七四年十月七日より今日まで、超教派キリスト教会でキリスト教連合運動を行っている。

今では六十歳近くなっているので、本当に残り少ない肉身生活であることを実感するようになった。お父様から受けたこの生命をお父様の前に輝かせ、栄光な存在でお返ししようという気持ちだけである。

私の肉身を神様の前に祭物となってささげ、全体が天のみ旨を早く成し遂げることができれば、いつでも死ぬ覚悟ができている。人の命は有限であるが、神のみ旨は永遠なので、すべての個人の生活は神の前に忠実な結果として表れるべきである。

ただ神の栄光だけが永遠でありますよう。*

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アメリカに対する神の希望 1973年10月21日 ワシントン リスナー講堂にて

米国大統領選挙は、トランプが勝利した。奇跡的勝利ではあるが、全ては神の導き・・・
お父様が生きて働いておられる。感動的な一日。エキサイティングな一日であった。
お父様ありがとう。亨進様ありがとう。国進様ありがとう。
天運の中に生きることの大切さを感じます。
お父様が生きて働く米国に、お父様の御言葉のリバイバル。
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紳士、淑女の皆様、私の講演に参席くださいましたことを今夜再び感謝いたしたいと思います。今夜は「アメリカに対する神の希望」と題して話したいと思います。

私は皆様方すべてを非常に愛しております。というのは、私は神を愛するからであり、そして神はアメリカと、アメリカの国民を愛しておられるからです。神の祝福を受けるためにその祝福に自分が値することを実際に証明しなければならないのは、神の摂理の基本的な原則でありました。歴史を通じて、犠牲の生活を送ることによって、神の祝福に値した多くの義人がおりました。にもかかわらず、私たちは、私たちが今日生きている世界が神の国からは全く程遠いということを知っております。私たちは人類の歴史が誤った所、すなわち悪なる所から出発したことを知っています。これが、聖書がこの世の神はサタンであるといっているゆえんであります。

世界を復帰し、神の国をつくるためにこの悪なる世界から闘志を呼び出すことは神の戦法でありました。神のやり方を理解するために、神が摂理された歴史を調べてみましょう。アダムの家庭は、神が創造された最初の家庭でありました。この家庭にはアベルという一人の男がいて、神は彼を最初の闘士として選んだのであります。アベルは神に心から仕えました。そして彼は神の目的のために自分の命を投げ出した最初の人となったのであります。

その後神は、神の闘士としてノアを呼ばれました。そしてノアは全く考えられないような使命を成し遂げたのです。神はノアに、舟を造るよう命令されました。そして、彼はそれを山の頂上で造るということになったのです。さて、舟を造るにあたっては、水のある造船所を必要とするというのが常識です。しかし、ノアに与えられた指示は海岸や、川辺ではなく、山の頂上に箱舟を造ることでありました。ここにいる我々のうちで、何人がそのような使命を受けることができるでしょうか?

何人がそのような命令に従い、みじんも疑いもせず仕事に取りかかることができましょうか?

ノアの時代には、ノアが神から命令を受けたことを誰も信ずることができませんでした。ましてや誰も来たるべき洪水審判を知らせる彼の使命を理解することはできなかったのです。ノアがその時代の人々にどのように思われたか想像できますか?

この講堂におられる御婦人方のうちで、どなたか自分がノアの妻の立場であったらということをお考えになりませんか?

私は、あなたがとても幸福な奥さんであったろうとは考えません。

ノアの妻は毎日、ノアの弁当箱には少しの食物しか入れなかったに違いありません。ノアは箱舟を造るのに忙しく、家族の面倒をみる時間がなかったのです。数カ月間のうちに、家族のうちで口論が始まったに違いありません。しかし、ノアの妻がそうした状態を続けざるを得なかったのは、十二カ月間でなく、十二年間でもなく、一二〇年間だったのです。それではなぜ神はノアに、そんなにも理解し難い使命を与えたのでしょうか?

なぜ神はそのようにせざるを得なかったのでしょうか?

それには理由があります。それは悪なるがゆえにです。神は悪と共におられることはできません。神の方向は悪のそれと一八〇度違っています。神は悪なる世界を受け入れることはできないのです。だから、神は罪悪世界すなわち、悪に染まったあらゆるものと関係をもつことを望まれないのです。

我々はすべて神の構想によって造られ、従って我々人間の性質には神に似た特徴が見られます。まずあなたがたに強烈なある感情をもっている一人の敵があると考えてみてください。あなたは、その人に似たいなどとは思わないのです。そのように神も悪、サタン世界とは何も関係がないのです。ですから、神がサタンに対処するには人間が理解し難い方法がよくとられるのです。

神はまた人間の信仰を試されます。神は単に人間の常の事を望むことによって人間の信仰を試すことはできません。私たちは神の途方もない命令に喜んで従わなければならないのです。これは簡単なことではありません。人々はノアが箱舟を造っているのを見て、ノアは気違いだと考えたのです。誰も彼が神の構想の中心的な立場にいるなどとは考えませんでした。ノアばかりでなく神が選んだ他の男たちも、彼らを世界的な視点から見た場合には特殊な行動をとっているように見えるのです。アブラハムの場合を見てみましょう。

神はアブラハムを、神を信ずる人の家庭からではなく、偶像商人の家から呼び出されました。そして、彼の悪なる環境を分別し故郷を離れるよう命令しました。神はアブラハムが神の闘士となることを望んだのであります。これは神の個人的な命令でありました。もし、アブラハムがこのことを父親に相談したら、その偶像商人は疑いなく彼にこう言ったでしょう。「お前は気でも違ったのではないか……」と。アブラハムはそう言われることをよく知っていたので、神からの命令を父親には告げなかったのです。誰が彼を信じたでしょうか?

彼の命令は隣の人に挨拶するようなそんな簡単なものではありませんでした。神は見知らぬ土地、はるかエジプトに向かって旅立つよう指示したのです。その時のアブラハムの決意は、彼の信仰と神への信頼に基づく孤独なものでした。信仰のみによって、神の命令に従う以外の何物も心にもたず彼は決意し、故郷をあとにしたのです。私は彼が真夜中に、そっと出て行ったことを知っています。ある日突然、彼は自分がジプシーのようにさまよっているのを見つけるのでした。彼は自己否定をして生きたのです。すなわち、すべてをあきらめたのでした。

神の闘士は共通のある性質をもっています。彼らは一様に、自己と環境を否定することから使命を出発しているのです。イサクの息子ヤコブも例外ではありません。ヤコブは神に仕えることにおいては強烈な意志力をもった人でした。彼は、神にいまだかつて見たこともないような情熱をもって仕えようと願っていました。彼は誰もまねのできないような何かを成し遂げることによって、模範的な道を開こうと願っていたのです。

聖書にはヤコブの話がたくさん載っています。その一つに、彼があつものと引き替えに長子権を買った非常にずるがしこい話があります。そしてその後、彼は兄エサウに与えられるはずの父親の祝福を奪ったのです。この事件からヤコブは、彼が兄の敵になるだろうということをいち早く知ったのです。彼はそれでも敢えてしたのでした。ヤコブの願望、すなわち神の祝福に対するあくなき欲望は彼の心の中でそれほど強烈だったのです。神は本当に慰められたのです。イサクの祝福を受けてのち、ヤコブはふるさとを離れ、見知らぬ地ハランに行くことによって兄から殺される危険を免れたのです。

二十一年間ヤコブはハランでの艱難の生活に耐えたのでした。その間ヤコブは彼の伯父のラバンに何度もだまされました。ラバンはヤコブを十回だましたのです。しかし、ヤコブは一度も文句を言わなかったのです。彼は、自分の祝福された、故郷に帰る日まで忍耐し、待ち続けたのでした。ついにその日が来、帰る道すがらヤボクの川辺で、神は天使をヤコブと闘わせるために送られました。さて、このことを考えてみてください。神から来た天使が突然ヤコブの前に現れ、恐ろしい敵となったのです。神は本当にヤコブを追い詰め、彼の信仰を試したのです。ヤコブは天使と相撲を取らねばならず、そしてそうしたのであります。

ヤコブは一晩中闘いをやめませんでした。彼は決してあきらめませんでした。その時、神はヤコブが最後まで、死ぬまで闘う気であることを知ったのです。天使が彼のもものつがいを外した時でさえ、ヤコブは激痛にもかかわらずあきらめようとしませんでした。ヤコブはついに試練に勝ち、神側の天使は降参したのです。それで神は、「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」(創世記三二・二八)と言われたのです。

次に、神はモーセを神側の闘士として選ばれました。モーセがぜいたくな生活をほしいままにできるようなパロの宮中で育ったことがどれほど幸運なことであるか考えてみてください。しかし、ある日彼は、彼の同胞の闘士として突然立ち上がったのです。彼はもはやエジプト人の同胞に対する抑圧に我慢がならなかったのでした。その時彼は、神が彼と共におられることを知っていました。彼は、彼を取り巻く環境を拒否し、自己を否定することによってミデアンの荒野に向かって出発したのです。彼は四十年間神の祝福の価値を忍耐して増し加えながら最終的な使命をもったのです。モーセの生活は極めて質素であり忍耐強いものでありました。毎日、彼は神の目的に新しくなり、来たるべき使命を心待ちにしつつ、彼の同胞をエジプトから連れ出すため神の導きを待っていたのでした。

アベル、ノア、アブラハム、ヤコブ、モーセ等これらの人々はみな神の闘士でありました。さて、それでは洗礼ヨハネを見てみましょう。聖書には偉大な聖人、預言者として書かれていますが、洗礼ヨハネは乞食のように国中を巡ったのです。らくだの毛皮に皮の腰ひもをまといながら……。そして、いなごと野蜜で食を保ちながら、彼は靴も履かず歩き回ったのでした。これはヨハネの時でさえ尋常な生活ではありませんでした。私は洗礼ヨハネの両親が息子を誇りに思っていたとは考えません。彼らは息子を恥ずかしく思っていたのに違いないのです。

何年も何年も荒野に居て、乞食のような生活をしている息子、洗礼ヨハネの両親の立場に自分をおいて考えてみますと、どうでしょうか?

私はイスラエルを旅行してみましたが、砂漠には、いなごも野蜜も多く見つけられるとは思いませんでした。洗礼ヨハネは何度も食物を乞い求めなければならなかったのです。もし、私が今夜あごひげをはやし、動物の毛皮を身にまとい、この演台に上がり、そして神の言葉を述べているとしたなら、あなた方は、きっと私が気が違っていると考えるだろうと思います。

それでは、このようにしてイエス・キリスト御自身の立場を考えてみましょう。この中にはきっとイエス様の生涯について、種々の意見をもつ敬虔なクリスチャンの方々が多くおられることと思います。あなた方はイエスの出現をどのように眼前に思い浮かべますか?

イエスの公生涯以前の三十年間を、イエスは何をやっていたのでしょうか?

彼は大学のようなところで勉強していたのでしょうか?

聖書には彼が小学校へ行ったということさえも記されていません。彼は労働者であり大工の見習いでした。聖書の中には知るべき多くの、またはっきりと書かれていない隠された真理があります。もし、私がそれらの秘密をいくつかをここで説明するなら、私はきっと皆さんが驚かれると確信しています。たとえもし、私がこれらのことを知っているとしても、私はこれらの話を軽々しく皆様に語ることはできません。なぜなら、皆さんはその時きっとこう言うであろうからです。「どうしてそんなことがあなたに分かるのですか」……と。

私はそれをイエス様から知らされました。そうです。私は神から学んだのです。思い出してください。アブラハムの時代は誰もアブラハムを信ずることができませんでした。同じように、たとえ私が正直にイエスの時代に実際に起こったことを皆さんに言ったとしても、誰も簡単に私を信じはしないでしょう。このような時代の社会的見地からイエスは父なし子、私生児でした。神の側から見れば彼は聖霊によって生まれたのでした。しかし、どうやってそれを人々に納得させることができるでしょうか。それでは現実の問題として考え、私が言おうとしていることの価値を考えてみていただきたいと思います。

マリヤは結婚する前にイエスをはらみました。ユダヤの法律では、そのような女は石打ちの刑によって死ぬ運命にありました。ヨセフはマリヤのことで憤りを感じ、彼女と離婚する適当な時をひそかに待っていたのでした。その時天使がヨセフに現れ、彼にこう言ったのです。「マリヤを妻としてめとりなさい。彼女を責めてはいけません。彼女は神の特別な使命をもっているからです」。もし、ヨセフが全き人でなかったらマリヤは必然的に石打ちによって死に追いやられたでしょう。

さて、皆さんはヨセフがこのことを両親に向かって、「お父さん、お母さん、私の妻となる人、私の婚約者は妊娠しました。しかし、天使がこれは神の意志によるものであると言いましたから、私は彼女を妻とし、彼女のめんどうを見なければなりません」などと相談できたと考えますか?

ヨセフの両親は何と言ったでしょう?

この中には年配の御夫婦がおられます。ヨセフの両親の立場になって考えて見てください。ヨセフがそのようなことを言っても信じようとはしないでしょう。ここでヨセフは孤独な決定をしなければならなかったのです。誰にも相談することなく、彼は婚約者をある秘密の場所に連れていったのです。

私はヨセフがマリヤに対して大きな疑いをもつような極めて苦しい時を通過したということを確信しています。ヨセフは妻となるべき人にこう聞いたに違いありません。「マリヤ、私たちは心が通じ合っているのだからお互いに秘密はもっていないはずだ。何が本当にあったか私に話してくれるね。お前のおなかの子の本当の父親は誰なのか?」どんな夫もこのことに関してはとても知りたがるものなのです。しかしマリヤが夫に対して、「この子供の父親が誰であるかは私は本当に知らないのです。私は神によって妊娠したからです」と彼女は真実を言ったのです。何人の人が彼女の言葉を信ずることができるでしょう。

今、信ずることはより簡単です。私たちはイエスが誰であるか知っているからです。しかし、これはイエスが生まれてからの問題ではありませんでした。それ以前の問題なのです。

ですから、ヨセフは確実に疑いをもち心に傷ついた心情をもっていたのです。彼は“私の妻は真実を言っていない”と考えました。このような状態から、彼が生まれる以前からイエスの家庭には感情的な食い違いや動揺があったのです。

こうした事実に良い証の場面があります。ある日、イエスがカナで結婚の祝いがあった時、そこで母親に会いました。マリヤはイエスに、「ブドウ酒がなくなった」と言いました。彼は母親に向かってこう言ったのです。「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」(ヨハネ二・四)重要なことは、彼がお母さんと言わずに「婦人よ」と言ったことです。のちにイエスの弟子の一人が彼の所にやって来て、「あなたのお母さんと兄弟たちがあなたに会いに来ておられます」と言うのを聞いて「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」(マルコ三・三三~三五)と言っています。これは、イエスの目からは、彼の家族が神のみ旨を行っていないということを示しているのです。

イエスは彼の家庭に対して非常に大きな憤りを感じていたのでした。まだ明かされない多くの隠された話があります。彼の怒りの事実の多くがまだ知られていません。聖書はイエスの公生涯前の三十年はほとんど記録されていないのです。もしこれが栄光ある記録でしたら、神やイエスの弟子たちがそれを表したことでしょう。しかし、イエスは嘆きと悲しみのうちに生きたのです。すなわち彼は三十年の目立たない存在であったのです。だから人々は彼が、「私は律法を成就するためにやって来た。モーセは私について書いているのである」と言うのを聞いて、ある日突然、ショックを受けたのです。彼はこう言いました。「私は神の息子であり、天の父が私を送られたのである」「私は道であり、真理であり、命である。誰でも私によらないでは、父のみもとに行くことはできない」。その時代に私たちが生きていたとして、ここにいる何人がそのような途方もない言葉を信じることができたでしょう。イエスは人々を困惑させました。彼はそんなにもけたはずれであったのです。洗礼ヨハネでさえ、イエスを神の息子として見ることは難しかったのです。そしてヨハネは人々の心を準備させ、主の道をまっすぐにするため来るはずでした。

今日、イエス・キリストを神の息子として受け入れることは非常に簡単なことです。なぜなら二〇〇〇年の間、キリスト教は彼を神としてたたえてきたからです。しかしその当時は年上の者たちは彼を受け入れず、また祭司たちも彼を受け入れなかったのです。彼らは、今日の我々に勝るとも劣らないほどインテリでありました。事実、我々がもしナザレのイエスの時代に生きていたら、多分彼ら以上の過ちを犯したかもしれません。彼らは単に、見捨てられた、不敬な、無法な異端者を見たにすぎないのです。彼らは率直に神の息子を見ることができなかったのです。

イエスは長い間待ち望まれてきました。メシヤは二〇〇〇年の間、その到来を待たれてきたのであります。しかし彼がついに現れた時、彼を受け入れることができなかったのです。ユダヤ人のその当時の信仰が力なかったのではありません。今日のクリスチャンの信仰に劣らず献身的でありました。しかし、我々はイエスが関係をもった人たちはことのほか売春婦、取税人そして漁夫たちであったということを知っています。

我々は、ある日若い女が高価な香油をイエスの体に注ぎ、彼女の髪の毛で足を洗った話を知っています。もし、私たちがこれらのことを見たとしたら、皆さんのうちの何人が敬虔にイエスを神の息子として受け入れると言うでしょうか?

イエスの三年の公生涯は待ち望まれたメシヤの立場からは程遠い叫びでした。誰一人としてキリストの真の使命を理解することができなかったのであります。人々は彼らの地上の基準で、神の息子を罪深い目でもって裁いたのであります。彼らはイエスを自分たちの思うままに取り扱いました。この罪の世界はキリストの清さには決して相いれられません。彼は人々に近づきました。しかし、人々は彼を受け入れなかったのです。

既に申し上げましたように歴史上のすべての聖人、預言者、義人はまず第一に完全なる自己否定をし、神に自分を捧げました。神が彼らを呼び集められた時、彼らは自分の家や財産、家族、また国までも捨てました。神は神の闘士を個人的な立場において、また家庭的、民族的、国家的、世界的な立場において必要としました。神は各々の立場において神の闘士を必要としました。そしてどの立場においても、神の闘士の資格は常に同じでありました。神はどのような使命が下されてもついていくことのできる、完全なる疲れを知らない信仰者を要求しているのです。神は神のみ旨に完全に服従することを要求しています。

それでは、我々は神のみ旨とは何であるか調べてみなくてはなりません。なぜ神は人間にそのような困難な時を与えるのでしょう。個人的な救いは確かに、神の側においては重要なことです。神はそれをないがしろにはされません。しかしながらそれが神のなされる仕事の最終的な目的ではないのです。神は世界の救いのために、一つの家庭をその手段として呼ばれました。神は世界の救いを完成するため、人々を呼び集められるのです。神は世界救済の最終的な成就のために、神の闘士として一つの国を必要としています。

イエスの時代の人々はメシヤの到来を切望していました。しかし彼らはイスラエルとして、神の選民として、彼らの国家的栄光のみを考えていました。彼らはイエス・キリストの世界的な使命を理解しませんでした。メシヤを選民に送るのは神の目的でありました。そしてメシヤは選民と一つになるのでした。そして彼らは信仰をもつ戦士となり、世界の救いのため戦い、成就するのです。

メシヤのための基台は家庭的闘士であるヤコブ、そして民族的な闘士であるモーセを通して築かれました。最後にメシヤはイスラエルという国家に来ました。彼はその国の闘士であり、世界全体の闘士となるべきでした。神の目的は一つの教会や、一つの国家の救いではないのです。より多くのためにより少なきを犠牲にするのが神のやり方であります。もし、今日のクリスチャンが自分たちのみの救い、自分だけの天国そして自分たちだけの安寧を考えていたら、彼らは神の目的に沿って生きていないのです。もし私たちが自分だけの家族の救いのみに関心を寄せるなら、私たちは神の祝福を受ける価値はありません。もし人々が自分の同胞、すなわち自分の国の利益だけに焦点を合わせるなら、彼らは完全に神の意志に反して進んでいるのであります。

神はそれぞれに救いを与えるでしょう。もしあなたが世界の救済のため神の闘士となるなら、あなたの救いは保証されるのです。今、クリスチャンの人口は世界の人口の多分七分の一くらいだと思います。しかしこの中でも献身的なクリスチャンは非常にわずかです。その献身的なクリスチャンの中で、いったい何人が人間の救済のために本当に励むでしょうか?

私たちはすべて世界救済のため我々自身を捧げなくてはならないのです。

神は、私たちが自己中心的に生きるのを喜ばれないのです。私は個人的にイエスと会いました。そして、神の嘆きが非常に大きいという啓示を受けました。今日も神はすべての人類の最終的な救済のために休みなく働いておられます。神はこの仕事を相続する神の闘士を必要としておられます。神の教会の目的は全世界を救うことであります。教会は神の手段です。イスラエル選民がイエス時代に忘れたのは正にこの事実でした。

この知識をはじめとして、さらに我々の歴史的展望を続け、いかにアメリカが祝福されてきたか調べてみましょう。イエスの十字架と復活ののち、キリスト教は小アジア中に広がりました。主要な進出はローマでした。ローマはその中心ともいうべき所でした。というのは、その当時ローマが“世界”を意味していたからです。救われなければならない世界にとって、ローマはイエス・キリストの軍隊によって征服されなければならない所でした。しかしこれは、不可能な戦い、想像も及ばない目標でした。ローマ帝国は征服できない難攻不落の要塞のようでした。イエスの軍隊は手に何も持たなかったのです。彼らは武器を使わなかったのでした。剣もやりさえも。彼らはただ神とイエス・キリストの愛で武装したにすぎません。彼らはただ、確信と力をもって恐れずに前進したのでありました。彼らは血と犠牲の代価を払ったのです。

さて、軍隊といっても死を恐れない軍隊ほど強いものはありません。信仰をもった軍隊に打ち勝つ敵はないのです。歴史はイエスの軍隊の証をしています。ローマ帝国はついに亡びましたが、イエスはローマを征服したではありませんか。世界救済の神の摂理の中心にローマ・カトリックはなったではありませんか。パウロというのは神の闘士になる立場におかれました。

しかし、中世になって教会は大きく破滅の道をたどっていったのです。キリスト教はその精神において分裂してきたのです。中世教会の教会制度はその力、権力、その繁栄のみに携わり、教会は政治的に経済的に莫大な力をほしいままにしました。教会制度はこの力を保ち、乱用し、神の目的を忘れてしまったのです。彼らは自分の地位に執拗にぶらさがり、いかなる反対者も容赦なく迫害したのです。教会の指導者たちはイエスの弟子の直系でありました。なのに、自分の罪から立ち上がることができないのでした。これらの人々のキリスト教精神は完全に死んだものとなってしまったのです。

しかし、神は前に進まなければならなかったのです。神は完全な答え以外には満足されないのです。教会は改革される必要があり、したがって宗教改革がこれに続いたのです。マルチン・ルターは新しいプロテスタント改革を始めました。この不満の花火は直ちにヨーロッパ中に広がり、教会の権力に対して反乱の嵐が巻き起こったのです。これらの反対者たちは、彼らの先祖の代からの古い教会を放棄したのです。全地域の義なる人々は、古い教義や習慣から解放されようと意を決しました。彼らは明らかに、教会ではなく神に礼拝したかったのです。彼らが望んでいるのは神のもとでの平等でした。最終的なる目標に世界を近づけるよう、彼らは神に加担したのでした。

あとになって再びイギリスでは、貴族教会の耐え難い腐敗に対する反乱がありました。それはイギリス教会を浄化するための叫びでした。清教徒運動も始まりました。それはまたたく間に、迫害にまで広がっていったのです。これらの新しい求道者は、そうした新しい運動に、あらゆる手段をもって抑圧してきた既成教会の教会指導者たちを、恐れさせました。真実に礼拝の自由を求める者は、逃げ出してしまうか投獄されるかのいずれかでありました。彼らの精神は確固たるものであっても反抗する力に欠けていました。しかし彼らは屈することを知らなかったのです。ある者はオランダに逃げ、彼らが自由に礼拝することのできる新世界、新天地、新しい土地を求めたのです。

新しい世界を夢見る者にとって、アメリカは魅力的なものであったに違いありません。アメリカが未踏の地だとしても、自分たちの切望する自由な礼拝を約束していました。清教徒も彼ら自身の社会共同体をつくるという強い願いを感じていたのです。アメリカはそれには理想の土地であったのです。彼らは勇気をもってそこに出かける決意をしたのです。彼らは大西洋に出て、おぼつかない旅に出たのであります。自分の命よりも強い信仰に力を得ながら彼らは命懸けの旅に出たのです。

考えてみましょう。彼らは家族も、親戚も、環境も国も捨て見知らぬ土地に向かったのです。彼らのたった一つの望みは神でした。彼らが取るどの手段も神によっていました。旅は長く、嵐にもたくさん出会いました。彼らは絶え間なく神に祈ったのです。彼らは何にも屈せず、ただ神に屈服したのです。船で病気になり死にそうになったからといって、彼らには飲む薬もなければ、診てもらう医者もいないのです。神に屈服する以外なかったのであります。これらの清教徒団の男も女も神と一つでありました。それは生きる手だてだったのです。

神に全面的に頼るという立場に自分を置いてみましょう。何と素晴らしい信仰ではありませんか。この英国清教徒団の信仰は、神の心情に触れたのだろうと私は確信します。神はその心情が動かされた時、約束事をされるのであります。そしてその約束がなされると神はそれを成就されるのです。神は彼らの願っていた最終的なもの――礼拝の自由――をこれらの信仰篤い者たちに授けようと決意されました。そしてそれ以上に恵みを与えようとされました。

皆さんも御存じのことと思いますが、メイフラワー号はニューイングランドにあるプリマスロックという所に冬のさなかに到着したのです。ニューイングランドの十一月はかなり寒いものでした。新しく到着した者は飢えに瀕したのです。彼らが死ぬほどおなかがすいても、メイフラワー号に積んである穀物の蔵に手をつけなかったという事実は、本当に私を感動させました。彼らは春の穀物の植え付けのためにとっておいたのです。これは実に犠牲の崇高なる例であります。数日の生命のために自暴自棄になるより、あすに希望をもちながら死のうと思ったのです。

清教徒団は目的と希望とにあふれてこの地にやって来ました。彼らは自分たちの命を全うするより、彼らの目的のほうが重要であることを知っておりました。神への信仰を除いて何が彼らにこの勇気、献身、犠牲の精神を与えたでしょう。彼らがプリマスに着いた時、航海に耐えた四十一人の男は一緒になって政府に対する彼らの考えをまとめました。「メイフラワー盟約」は神のみ名によってアーメンと結ばれ署名されました。これは本当に素晴らしい話です。この小さなグループは神に希望をおいてヨーロッパをあとにしたのです。彼らは神のもとにあって病にかかり死んでいきました。そして神のもとで生きのびたのです。彼らは最初の政府をつくりその公式文書に“神のみ名によって”と署名しました。

アメリカの清教徒の話は神の歴史の一つです。それは歴史上の義人アブラハム、イサク、モーセ等のパターンのうち、これらの清教徒たちは現代歴史のアブラハムの家庭に当たります。ですから「メイフラワー盟約」がサインされたのちも多くの苦労に立ち向かっていかなければならなかったのです。

アメリカでの最初の冬、大胆なメイフラワーの生存者は最初の人数の半分になっていました。来る日も来る日も、その冬は愛する者との心を引き裂くような別れの日々でした。これらの勇敢な開拓者が次々に死んでいきました。しかし、朝から晩まで、晩から夜明けまで彼らの生活は神のみ意を中心としていました。神が彼らの唯一の慰めであり、彼らの唯一の希望であり、彼らの唯一の安全でありました。神が彼らにとって第一の仲間であったのです。ここにまれなる純粋なる神の人の一団の例があったのです。彼らはあくなき信仰を証明し、神は代わりに力と勇気を与えられました。彼らは決して神への信頼を失わず未来の展望を失わなかったのです。アメリカに来ることの目的は神を中心とした国をつくり、神が住むことのできる、そして本当に親交を分かち合い神と共に親交を喜ぶことのできる天地をつくり上げることにあったのでした。これはすべて神の摂理の中にあることでした。なぜなら神は最終的な永遠の世界救済のため、神の闘士として仕える一国を必要とされているからです。

それから、もう一つの奇跡が清教徒たちにもたらされたのです。辛うじて彼らが生き残り彼らの人口が半分になった時、インデアンの一撃は簡単に彼らを全滅させてしまうことができたのでした。しかし、ここでも神は彼らの盾となりました。メイフラワー号の生き残りの人々が出会った最初のインデアンは敵ではありませんでした。インデアンは、移住者を歓迎しました。もしその時清教徒たちが殺されたとしたら神のためのアメリカは多分存在しなかったでしょう。神はここアメリカでも神の人々を救うため介在されたのです。これは私の信念です。神は、彼らが定住することを望まれたのです。そして清教徒にその機会を与えられたのです。

人口が増すにつれて、彼らは自分たちの植民地を拡大するためにインデアンを追いやらなければならなくなりました。もちろん、この地はもともとは新しいアメリカ人のものではありません。インデアンはこの地の住民であって清教徒たちはインデアンの目から見れば侵略者であったに違いありません。それでは、なぜ神はこれらの新しい移住者に大きなチャンスを与えたのでしょう。私の説明はこうです。神はアメリカの移住者に味方されました。それが、神の御計画の中にあったからです。さらに、これらのアメリカの移住者たちは神の要求に見合い、真に神への揺がない信仰を証明したからです。神は彼らに約束事を与え、その約束事を成就せずにはいられませんでした。

アメリカの存在は神の摂理と一致しています。神は将来の仕事として地上に一つの強力なキリスト教徒の国をつくらなくてはならないのです。結局アメリカは、まず神のものになり、それからインデアンのものになるのです。これが、清教徒の立場を正当化することのできる唯一の解釈なのです。

アメリカ大陸はそれまで特別な目的で隠されていました。そして適当な時まで発見されなかったのです。神の選んだ人々は決められた時にやって来ました。彼らは新しい生活方式を形造るためにやって来たのです。彼らの第一の相談相手は神でした。家では、子供の面倒をみながら農作業をしながら、あるいは、料理や建築作業をしながら彼らは神と仕事を分かち合っていました。神は彼らの唯一の安全でした。農夫は子供と畑仕事をする時、“神の名において耕そう”と言ったのです。彼らの毎日の生活は神のみ名においてなされたのでした。

最初の春が過ぎて、彼らは整地し種を蒔き耕し、実りを刈り入れました。そしてすべての収穫を神の前に捧げました。感謝祭という美しい伝統はこうして始まったのです。次の厳しい冬に引き続いて彼らが最初に建てたのは教会でした。彼らが最初につくった道は教会への道でした。夜に、明け方に、朝に、昼に、彼らは神に祈ったのです。彼らはこう祈ったに違いありません。「神よ昔いた土地よりもっとあなたの住み良い教会をつくりたいと思います。私たちはあなたが住まわれ、主人となる場所をつくりたいのです」。

そして彼らは、このキリスト教国家が地球上のどの国より世界のために良いことをなすだろうという未来の展望をもっていたのです。私は教会の次に学校を建てただろうということを確信しています。彼らは子供たちにかつての世界にあったどの学校より良い学校を望んでいました。彼らの住む家は最後に彼らの家を建ててからそれを神に捧げたのです。これが、私の知るアメリカにやって来た清教徒団の歴史です。初期のアメリカが美しいアメリカとして私の目に浮かびます。というのは神はあらゆる所におられたからです。学校に教会に、台所に、通りに、どんな集会場にも、マーケットにも神はおられたのです。

アメリカでは、今建国二〇〇年を迎えようとしていることを知っています。それでは、一七七六年に独立運動を指導した人々を見てみましょう。これらの自由の闘士は英国本国の目から見たなら裏切り者でした。しかし神は、神の手段として神の遣わす人としてこれらの裏切り者を使われました。そして、彼らを通して地上に最高の国をつくろうとされたのです。

大陸軍の総司令官、ジョージ・ワシントンは引き続く争いに、敗戦のつらさを味わっていました。彼がついにバレーホードで最後の心が張り裂けるような寒い冬を迎えた時は深刻でした。ジョージ・ワシントンはこのように祈ったに違いありません。「神よ、ヨーロッパから導き出し、新しい世界に連れてきたのはあなたでした。あなたは、重い灰色のヨーロッパの歴史を繰り返したいとは望んでおられません。あなたは私たちを解放し自由を与えました。あなたはヨーロッパでの誤りをこの地で繰り返されるのを望まれないはずです。私に誓わせてください。私は神のもとに一つの国をつくります」。そうして、ジョージ・ワシントンは彼の戦いを神の戦いにしたのです。そして得た勝利を神の勝利にしたのでした。

この勝利とアメリカの独立は、神が多くのアメリカ人の祈りとともにジョージ・ワシントンの祈りを受け入れたからだということを知っています。神は、彼の選んだ闘士が新しい国のために働くだろうということを御存じでした。

しかし、ジョージ・ワシントンは戦う何ものももたなかったのです。一方、イギリス軍はすべてをもっていました。力、権力、伝統、そして装備、彼らは軍の力を誇っておりました。アメリカの大陸軍は弾薬をもたず、わずかの兵隊しかおりませんでした。ジョージ・ワシントンはたった一つの武器しか持っていなかったのです。それは神への信仰でした。私はジョージ・ワシントンの立場がちょうどダビデが巨人ゴリアテと戦う立場と同じだと思っています。ダビデは主の名によって勝ちました。ジョージ・ワシントンも主の名によって戦いに勝ったのです。彼らは両方とも彼らの敵を神をして退散させたのです。そして、その二人とも全身全霊をもって、全存在と犠牲的精神を投入して戦いに勝ったのでした。

さて、歴史を通して神の選ぶ人々は彼らの故郷では決して祝福を受けないという重要な事実があります。神はふるさとから導き出し、異国の地に移住させ、そこで神の人、神の国になることができるのです。その方式によれば、アメリカの人々は彼らのふるさとから信仰の旅に出て、大洋を越え新しい世界にやって来ました。そして、ここで彼らは神の祝福を受けたのです。神はアメリカに対してはっきりとした計画をおもちです。神は神を中心とした一つの国家としてこの国を繁栄させることを必要としておられました。神をもってしたなら何事も不可能なことはありません。不可能なるところからアメリカの独立は現実となり、その基台の上で大きな繁栄がやってきたのです。イギリス軍は国王のために戦ったのです。彼らにとってイギリス君主は絶対でした。アメリカ軍も彼らの王のために戦ったのです。神は彼らの唯一の王でした。そして神のみが絶対なのでした。新世界は神の名のもとに開拓されたのです。アメリカは絶好の地と思われました。ここは人々にとって最良の土地でした。

アメリカのキリスト教の伝統は、外国人がこの地に来た時に目にし得る最も美しいものでした。私は毎日議会が祈りで始まることを知りました。あなた方の大統領は聖書に手を載せて誓います。ある日私は議事堂の小さな祈祷室を訪ねてみました。あなた方の指導者が何か重大な決定をする時、そこに来て、謙虚に神の前にひざまずき、神の助けを願うのです。そこにはジョージ・ワシントンが祈りのためひざまずくのを描いたステンドグラスがありました。ここに私はアメリカの本当の偉大さを見たのです。議会の最も高い立場から田舎の素朴な習慣まで神に頼る証はアメリカのどこでも見られます。

この点でアメリカは、特殊な存在です。あなた方のお金、紙幣やコインにさえ、美しい字で「我神を信ず」と書かれ刻まれています。他のどこの国もそのような習慣はありません。それでは誰のお金でしょうか。あなたのでしょうか、アメリカのお金でしょうか、いいえ、それは神のお金なのです。どの紙幣も硬貨もそう言っています。あなたは管理する人です。神があなたの手に神の富を積まれるのです。そうです、この国はアメリカの国ではありません。神の国なのです。そして、そのような国はアメリカだけのために存在するのではありません。世界全体のために存在するのです。そうです、アメリカは新しい国として造られました。新しい伝統をもつ新しいキリスト教国家なのです。古い伝統の足かせはアメリカにはなくなったのです。あなた方は神のもとでの新しい国をつくることを望まなくてはならないのです。

神の目的は世界のそして人類の救いであります。ですから、今日アメリカにおいて、皆さんはあなた方自身が偉大であるからそのような富を得た、と考えてはいけないのです。私たちは神の祝福が、神が世界を救うため、この国を手段として使うのが目的で、アメリカにもたらされたのだということを謙虚に悟らなければならないのです。もし、アメリカが神を裏切るなら、神はどこへ行くのでしょう。もし、アメリカが神を拒絶するなら、神はその目的を成就するのにどこに行くことができましょうか?

共産主義世界に行かせてみようと望んでいますか?

未開発国へでしょうか?

神はアメリカを神の基台、アメリカを神の闘士として望んだのです。そしてアメリカは、神の目的を追い求めながら、犠牲の精神をもち出発させられたのです。アメリカは神の目的のために同じ犠牲の精神で歴史を完成しなければならないのであります。

二つのはっきりとした例えを挙げてみましょう。アメリカ――北アメリカに来た人々は神と礼拝の自由を求めてやって来たのです。最初の移住者の唯一の動機は神でした。神のためにやって来た時、彼らは神ばかりでなく自由も富も得たのです。同時に多くの人々が南アメリカに行きました。彼らの唯一の動機は金でした。南アメリカは北アメリカ大陸に劣らず肥沃な土地でした。しかし、植民者の動機が金であった時は、金はおろか神も自由も見いださなかったのです。そして、南アメリカは低開発国のままで残ったのです。

アメリカの近代歴史の奇跡です。あなた方は短い期間に歴史における最も強力な国家をつくり上げました。この奇跡はあなた方が、苦労して働いたから可能であったのですか?

確かに皆さんは苦労しました。しかしながら、一生懸命やっただけでは十分な説明になりません。もし神が第一の仲間でなかったら、今日のアメリカをつくり上げることは不可能だったのでしょう。神は、アメリカの歴史において、一番大きな役割を果たしたのです。そしてこのことを神はアメリカに知ってほしいと願っておられるのです。

アメリカの国民が目覚める時がきました。この国の高貴な出発があって神は祝福と約束を贈られたのです。皆さんの祖先の犠牲的献身は神の祝福の基でした。もし、皆さんが祖先を裏切ることがあるなら、もし、あなた方が神を裏切ることがあるなら、アメリカの行くべき道は一つしかありません。減びしかないのです。アメリカが神への信仰の柱の上に建ったのなら、もし神がアメリカの生活の中から出てしまわれるということがあるなら、あなた方の国は支えのない国となってしまうでしょう。あなた方の国の衰退は著しいものとなるでしょう。

我々は種を蒔き、刈り入れます。今日、世界は二つの大きな陣営に分かれ、地球全体の争いが迫っています。なぜこのような現象が起こったのでしょう。歴史はイエスの時代に種を蒔かれました。イエスは歴史の種だったのです。彼の十字架は種蒔きなのでした。イエスと共に、右と左に十字架にかかった二人の泥棒がいました。

十字架によって天国に行かれてから、刈り入れの時彼は十字架を通して戻ってくるでしょう。イエスの十字架の時の状態は彼が帰ってくる時、世界的な規模で繰り返されるのです。そして、今がその時なのです。
今、我々は世界中で共産主義が強い勢力となっているのを知っています。民主主義世界あるいは自由主義世界は、神は存在すると言います。なぜ私たちは政治で民主主義の方を右、共産主義の方を左と呼ぶのでしょう。このような言葉はどこから来たのでしょう。今、私たちが追ってきた歴史の展望の中に最終的な理由があるのです。これは既にイエスの十字架の時代に決定されたことです。イエスの右側で十字架につけられた泥棒は民主主義世界を表し、イエスの左側に十字架につけられた泥棒は共産主義世界を意味するのです。

左側の泥棒はイエスが十字架につけられてからも「おまえはキリストではなかったか、自分を救ってみよ」と言ったのです。彼はこうも言ったのです。「もし、おまえが本当に神の子であるなら降りてきて自分自身とこの私を救ってみよ」。イエスは黙っておりました。その男の言うことに答えませんでした。右側にいる泥棒はイエスを弁護したのです。その男は左にいる泥棒に言いました。「同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか、お互いは自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」(ルカ二三・四〇~四一)。

十字架の右側の男は何という信仰を表したのでしょう。自分が死ぬということを忘れ、イエスを弁護したのです。何と気高い行いでありましょうか。イエスは答えました。「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」(ルカ・二三・四三)。

この瞬間、神を否定する世界が出現することを――すなわち今日の共産主義世界が出現するということが左側にいた泥棒によって暗示され、そして、神を恐れる世界の出現が右側にいる泥棒によって暗示されたのです。自由世界は右側にいた泥棒の立場に当たります。そしてアメリカは、これらの神を恐れる自由諸国の中心であるのです。アメリカは神の擁護者として選ばれました。ですから共産主義は“神はいない”と言うのです。

共産主義者に向かってアメリカはこう言わなければなりません。「神はおられるのにあなた方は何を言っているのか、神は私たちと共にここに住んでおられます」。アメリカはこう言っているでしょうか?

いいえ、今日のアメリカは急速に自己中心的になっていき、神から離れていっています。アメリカは他の国々のことをあまり気にかけなくなってきているように見えます。しかし皆さん方はアメリカを神の闘士として他の国々に捧げなくてはならないのです。アメリカが他の国々を援助する時、宣教師を送ったり飢えている人々を助けたりする時、黄金時代を迎えるのです。共産主義との対立はその時代の力の状態から起こりました。

しかし今、アメリカは後退しています。大きな悲劇が同時代に絶え間なく起こっています。例えば、ケネディ大統領の暗殺や、国連事務総長であったハマーショルドの突然の死とかがアメリカや世界を揺り動かしているというのは、単なる偶然の事件ではありません。アメリカの精神はその時以来、下降線をたどっているのです。この国がなくなったら、この国の指導者に神から与えられた使命の生命がなくなったら、多くの問題がみんなを悩ますでしょう。神はアメリカを離れつつあります。これは神の警告なのであります。

この時代においてはすべてのクリスチャンは神のために、右側の泥棒の役割をなすように定められた、世界の闘士となるべきです。クリスチャンは立ち上がり、世界の救いのために喜んで闘わなければなりません。しかし、今日のクリスチャンは、彼らの分裂した宗派を完璧なものにするため、そして教会の利益のため、それどころではないのです。私たちは主の来臨と一つにならなければなりません。世の終わりは再臨の時期が近いということを意味しています。神はどこかにその足場をもっておられるのに違いありません。神が成就できる基台があるに違いありません。アメリカはその基台であります。なのにアメリカは深刻に悩まされているのであります。

アメリカに最初に来た時、私はニューヨークに来て、ラッシュアワー時の五番街に立ってみました。そうしましたら突然涙があふれ出て仕方がありませんでした。私はエンパイア・ステート・ビルや世界で一番高い新しい貿易センタービルを見上げてみました。私はこれらのビルの中に神がおわし給うか自問してみたのです。

ニューヨークはますます神のいない街となっていきます。犯罪の街です。美しい街は今やずたずたになっています。その街にはもはや不道徳や、神不在のしるしを認めるばかりです。ラッシュアワー時に私の目にしたものは本当に私にショックを与えました。私は神の目からは全く耐えられない多くのことを目にしたのです。

私は神に聞いてみました。「あなたがアメリカを祝福されたのはこの目的のためでしょうか」。私は神がこれらの巨大な建物の中に神の霊を宿らせたいと望んでおられるのを知っております。美しい車の中で若者たちが神への情熱と他人への愛情で意気立っているのを見たいのです。神を讃美するのにエンパイア・ステート・ビルはいりません。神を讃美するのに一九七三年型の自動車も必要としません。もしあなたが祭壇としてたった一つの岩を持っていて神に仕え、そこに希望と涙を注ぐなら神はあなたと共におられるのです。私は神が大きなニューヨークの街を離れつつあるのが本当に分かるのです。ニューヨークは、かえって悪の街になりつつあります。

アメリカはいろいろな人種、いろいろな信念、国籍をもった人が一つの新しい血統となった、るつぼとして知られてきました。何かを溶かすためには熱が必要です。皆さんは、アメリカに熱を与えたのが誰だと思いますか?

神がその熱だったのです。神なくしてはあなたがたを溶かして一つにすることは決してできなかったでしょう。

アメリカはキリスト教精神を通して本当の兄弟の関係を達成することができました。しかし、この基盤なしにはアメリカの道徳はより低下するでしょう。今日、アメリカの衰退の多くの徴候が見られます。アメリカの若者はどうでしょうか。覚せい剤や青少年の犯罪はどうでしょうか。あなた方の家族の崩壊は?

私はアメリカでは四組のうち三組が離婚すると聞いています。カリフォルニア州連邦政府は、結婚証明書より離婚証明書のほうを多く発行しています。

人種問題や、共産主義の威嚇はどうでしょうか?

経済危機はどうでしょうか、どうしてこういう問題が起こるのでしょうか。これらは神がアメリカを離れているしるしなのです。私は神が今アメリカを離れつつあるのが分かります。この調子が続けば、本当に短い間に神はもはやアメリカと共におられなくなるでしょう。神は、アメリカの家庭を離れつつあるのです。かつて、神中心であったこの国には多くの無神論の徴候が見られます。神不在の社会だけが受け入れるような多くの法律が出てきました。アメリカ人の食卓にはいつも祈りが聞かれました。今日、アメリカの学校ではお祈りもしません。

皆さんはこう質問するかもしれません。「アメリカ人に向かってこんなことを言うあなたはいったい何者ですか」と。どうかあなた方の中でこの国のために責任を取ろうという人がいたら手を挙げてください。過去十年間、アメリカの教会はその精神において堕落してきました。アメリカの教会は中流家庭のようになってしまいました。アメリカの将来は若者にかかっていますが、若者たちの心に躍動を与えることができないのです。アメリカには精神的革命が必要なのです。心の革命がアメリカにもたらされなければならないのです。個人主義は神中心のイデオロギーにつながらなくてはなりません。誰がこのことをやるのでしょう。誰がアメリカの若者の心を燃やすのでしょう。大統領がするのでしょうか?

金持ちのアメリカの事業家がするのでしょうか?

アメリカの教会がやるのでしょうか?

私は神が私をアメリカに送られたということを知っています。アメリカでぜいたくな生活をしに来たのではありません。全く逆です。私自身の目的できたのではありません。神が送られたのです。六〇〇〇年の間、神はこの国をつくるため働いてこられました。全世界の未来はアメリカにかかっているのです。神はアメリカに非常に大きな賭けをしておられます。誰かがアメリカに来て神が離れるのを止めなければなりません。

韓国の私の信者たちは涙で私に別れの挨拶をしました。私は韓国でもやらなければならないことがたくさんあることを知っています。しかし、韓国のみに携わっていたら、世界の救いは遅れるのです。アメリカは神の闘士でなくてはなりません。私は、神のみ旨がアメリカに中心点をおいているのをはっきり知っています。ちょうど、神の摂理歴史において多くの人々がそうであったように、私は韓国を去り、韓国での環境を捨ててきました。この国でお金をもうけるために来たのではないのです。私はアメリカに来た時、財産、家族、アメリカでの私の全生活をゆだねました。私は神のみ旨に奉仕することのできる新しい国にやって来たのです。

私たちは質素でなければなりません。我々はこの瞬間から地上に最も大きな運動、神を取り戻す運動を率先してやっていかなければならないのです。あなたの誇りも、富も、車も、大きな街もすべて神がおられなかったら、ちりのようなものです。神を取り戻さなくてはなりません。あなたの家に、教会に、学校に、国家的な生活に神の目的のための仕事を始めなければなりません。神を取り戻しましょう。神のアメリカでの存在を生きた現実としましょう。

私は、アメリカの歴史上で多分いまだかつてない若者の運動を始めました。これは新しい清教徒団の運動です。韓国から来た男が神のためにアメリカの若者の運動を始めるというのは奇妙なことには思われませんか?
あなたの家族が病気になったら医者が来るでしょう。家が火事になったら消防士が来ます。神は目的を成就するため、それに合う方法を取られるのです。もし、アメリカにあなた方の必要とするものがないなら、外部の人がその役割を成就してはならないという理由はありません。アメリカは、アメリカを最も愛する者のものです。

アメリカのクリスチャン人口の数は何らの印象にも値しません。皆さんは数では神を感動させません。燃えるような信仰によってです。その基準はアブラハムの信仰です。アメリカのクリスチャンの何人が神に対する情熱で本当に泣いていることでしょうか。何人のアメリカのクリスチャンが神の仕事が己の仕事になっているでしょうか。幾人の人が神を第一と考え、神のために死ぬ用意があるでしょうか?

誰かが始めなければなりません。今始めなければならないのです。迫害のもとにあっても誰かが始めなければなりません。誰かが神の目的のために自分を捨て、神を取り戻さなくてはならないのです。我々は、燃えるような信仰で教会を満たさなくてはなりません。私たちの家族が本当に幸福になれる新しい家庭をつくらなくてはなりません。神がいまし給う新しい社会、新しい国を最終的にはつくらなくてはなりません。アメリカは、アメリカを越えていかなければならないのです。それがこの国が生き残るたった一つの道です。私は次のことがはっきり分かります。すなわち、これが神のみ旨であり、それゆえ私がアメリカに来、そしてここで私は二十世紀に叫ぶ一つの声となっているということを。

過去数週間、特にこの二、三日統一教会の者たちがあなた方一人一人に一度ならず二度も三度も出会ったと思います。私はきっとあなた方はそれにうんざりされたと思います。しかし、御自分をこの若い者たちの立場においてみてください。なぜこんなことをしているのでしょうか?

彼らにとって物質的利益になるのだろうか?

この運動をしている若者は八五パーセントまでが大学卒業生です。彼らは年間、数万ドルを稼ぐ能力があります。しかし、そうしないで彼らはこの講演に来るように街頭で皆さんに呼びかけているのです。彼らは非常に情深いのです。彼らには一つの目的があります。アメリカを救いたいのです。彼らはアメリカに神を取り戻し、世界に尽くすことによってアメリカが救われることを知っているのです。

これらの若者は、アメリカの精神を再び意気揚がらせるためここにいます。アメリカは偉大な伝統をもっております。すべきことは再び生き返らせることです。新しい考えをもった清教徒の新しい運動を必要としているのです。これは必ずなされなければならないのです。アメリカにはもう他に行く道がありません。皆さんにはもう曲がる他の方向がないのです。新しい清教徒の運動がやって来ました。アメリカのためにではなく、世界のためにです。言い換えれば世界救済の運動はこの国において始まらなければならないのです。アメリカはその基台であります。アメリカがその使命を成就する時、永遠の祝福が約束されるのです。

これはアメリカに対する神の希望です。これは神の皆さんに対する切々たる希望です。私自身は、我々がこの大きな十字軍のため、神と一緒になって励むということをアメリカの若者と共に誓いました。私は皆さんにこの若者たちに加わって応援してほしいと思っております。どこへも曲る道はないのです。もし、神をあなた方の家に連れ戻すならあなたの家庭は安全です。青少年の犯罪も解決されるでしょう。神を除いて人種問題のよい解答はないのです。共産主義の問題も、神の存在が実際となったら恐れることはなくなるでしょう。神はあなた方の健康も増すことでしょう。これがアメリカが自らを救う、たった一つの方法です。

アメリが新しい輝かしい日を迎えるというのが私の心からの強い願いなのです。そして、こうした理由から私は「アメリカに対する神の希望」という題をもって講演しに来たのです。

私は特に、今夜講演会に来てくださった一人一人の非常に思慮深い皆様方に心から感謝いたします。御家庭とお仕事に神の祝福がありますように。ありがとうございました。

米国大統領選

今日は朝から、米国大統領選挙の開票状況に釘付けです。

亨進様の語られる如く、私もトランプの勝利を信じています。

ペンシルベニア州の開票が50%ぐらいまでは ヒラリーが10ポイント以上優勢でしたが、開票率84%でイーブンになってきました。
ここを勝利で飾りたい・・・・
あと2時間ですべての結果が出るでしょう・・・

trunp

14:40追記

手に汗握る展開trunp2.JPG

ペンシルベニアは、過去6回の選挙でいずれも、民主党候補者が勝っている州です。
ご存知のようにサンクチュアリ教会米国本部が、ここペンシルベニアです。

14:57 集計率98% 逆転が見えてきました。 天運!!
trunp3

16:36 AP通信、トランプ当選確実を発表
ペンシルベニアの状況 集計99%
trunp4.JPG

16:50 トランプ勝利宣言!!
時を同じくし、ペンシルベニアの勝利も確定しました。

お父様が愛された米国・・・ 亨進様、国進様の勝利とともに、神の祝福が米国に戻ってきました。
お父様の夢、神の国は ここから再び始まります。
ありがとう!! GOD Bless YOU!!
trunp5

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サンクチュアリ・群馬ファーム

Blogの書き方を忘れてしまうほど、ご無沙汰しておりました。

Blogはお休みしていましたが、別のミッションが動き始めています。

今、日本には 素晴らしいサンクチュアリファームが 大分と浜松・・・
そして、とある青年が熱心に挑戦している岐阜にあります。
(他にも、きっとあると思いますが・・・。)

そして、今!群馬にサンクチュアリファームを開拓中です。

この群馬ファームのブログを作りましたのでご覧ください。

http://farm.sanctuary-love.net/

どうぞよろしくお願いしま~す。

161002-1

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みんながみんなで素晴らしい

なんかすごい久しぶりになってしまいました。

家庭連合のブログ村から強制退場させられて移ったサンクチュアリカテゴリーも、
参加者が日に日に増え、上位ブログのアクセス数も3千を超えるように・・・いやー嬉しい限りです。

日本には、いろいろな所属のサンクチュアリーグループがあって、『それってなんか変だなぁー』と、熱にうなされたように先月のGWに新しいサイトを立ち上げたり、MLを準備したり・・・いろいろとやっていたんですが、
一歩下がってその自分の姿を見つめると、その活動自体がそれぞれの組織に対する批判的な行動のような感じがしてきて 一気に熱が冷めてしまいました。

一人一人が幸せならサンクチュアリの中での所属なんて、あまり意味が無いですよねー。

Happyな毎日をすごしましょ! GOD BLESS YOU !

サンクチュアリLoveネット

サンクチュアリLoveネット(http://sanctuary-love.net/)を立ち上げて3日経ちました。

ブログでコメントを頂いたり、個人的にメールをくださる方もいて・・・
本当に嬉しい毎日でありました。
私は6500家庭で、若かりし頃、韓国で6ヶ月新聞配達をしたことがあります。
それで、新聞配達をした・・・という人と会うと、初対面でも心が通じる世界があります。
同じ事情権を味わった人とは、それだけで親近感があふれるんですね。

そんな素晴らしい心情関係を、サンクチュアリで築いていきたいと思っています。
皆様どうぞよろしくお願いします。

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サンクチュアリ人の交流サイト作りました♪

みなさまGWをいかがお過ごしですか?

サンクチュアリのそれぞれの協会、教会、ホームチャーチ、氏族チャーチ、個人・・・などなど
みなさま素晴らしい活動をされていることは周知の事実です。
そんな方々と横のつながりが持てれば、ますますと発展し力を得ることができるんじゃないかと思い、サンクチュアリ人の交流サイトを作ってみました。

今のところコンテンツは

  1. メーリングリストのサービス
  2. フォーラム(掲示板)の開設

の2つです。お気軽にご利用いただけましたら嬉しいです。

サンクチュアリLoveネット
http://sanctuary-love.net/

どうぞよろしくお願いします。